原発事故が起こるまでは、福島の山奥で30年、植物、動物、光や空気や水など、自然の営みを日々の糧として生きていた。勿論、機会があれば新聞も雑誌も読んだが、それは、生活の中でのほんの息抜き程度のものであった。
しかし、原発で被災したことがきっかけで都会で暮らすようになり、社会の状況を日々、新聞やテレビ、雑誌等で頻繁に知るようになった。
お陰で、政治や経済、その他諸々のことが分かり、ようやく人並みになったとも感じるが、改めて、世の中の情報の多さ、その煩雑さに驚く。知って面白いことも沢山あるが、それによって頭が振り回され、身体の穏やかさがどこかに行ってしまったようにも思う。
世の中に嬉しいことが多ければ、これほど疲れる事も無いと思うのだが、何しろ激しく、辛く、情けないことが多い。
モノを持たない、捨てる、離れる「断捨離」が注目される昨今だが、モノの手放し同様に、情報の手放しもまた、この時代を穏やかに生きるためには、大切なサバイバルの知恵の一つかも知れない。