2013年10月25日金曜日

この國の国民であることが恥ずかしい!

 先日、フクシマの人間が、原発事故に対するこれまでの政府の対応を見ていて「この國の国民であることが恥ずかしい!」と言ったと聴くが、まさに同感である。

 私も、他の被災者同様、これまでの二年半、怖れ、怒り、嘆き、悲しみ、そして、諦め、喜びの様々な心境を味わって来たが、今の汚染水問題に対する相変わらずの東電の保身、政府の無責任な言動、メディアの無関心さを見続けていると、もう、そんな感情はどこかに失せてしまい、今はただただ、彼同様「この國の国民であることが恥ずかしい!」気持ちになっている。

 そして、かけがえのない海を汚し続けている暴挙に、世界の国々に対して、また、そんな汚れ切った海しか残せなくなってしまった次代に生きる人々に対して、心の底から「申し訳ない」気持ちで一杯である。被災者転じて加害者の懺悔の心境なのだ。

 事故直後、人類史上始めて経験するこの惨劇の裏側で、この悲劇によってきっとこの国は生まれ変わるだろう!そして、世界を新しい時代に導くそんな素晴らしい國になるに違いない!という大いなる希望が持った。

 しかし、どうもこの國は、まだまだ当分その樣にはなれないらしい。だとすると、当初から怖れていたように、更なる悲劇がこの國には必要なのかも知れない。被災者の一人としては、もうそんなことはまっぴらごめんだが、今のこの國の変わらなさ加減を見ていると、そう思わざるを得ない心境になる。

 人間は、自然環境を破壊し、自ら造る文化、環境によって変容、進化を遂げなければならない宿命を持った動物である。その為には、まだまだ多くの犠牲が必要かも知れないのだが...。誠にしんどいことである。

 

 

2013年10月12日土曜日

信じる方が無知で馬鹿だという話

 先日、京都で出会った放射能計測の専門家が、汚染状況を詳しく測るためにわざわざいわきの自宅まで足を伸ばしてくれた。その調査結果を見た彼が「ここはもう人間の住める場所ではないよ」と言ってくれたことが、フクシマからの撤退をいよいよはっきりと覚悟させてくれた。

 昨日その彼と話をしていて、改めて日頃我々が目にしたり耳にしている政府、東電、メディアからの情報がいかに欺瞞に満ちたものであるかを再認識した。

 その中の一つが、津波から原発を守ると言われている防護壁の問題である。決して完璧ではないだろうが、いくらかは効果のあるものだとは思っていたが、じつは、あの壁がまったく役に立たないものだという話である。

 原発は、原子炉を冷やすために巨大な管を海に伸ばして施設に大量の海水をとり込んでいる。その管の口は四六時中塞がれる事はなく海に解放されているので、津波の際には、壁があろうが無かろうが、この管を通して海水が施設に逆流するのだと言う。事実その通りに3・11では、高台にあったにもかかわらず女川原発ではそれが起こり、原子炉が停止するという緊急事態が起きていた。

 「えっ、あの莫大な税金を投入して造っている高い壁が何の役にも立たないものなの?」と聴き返した私に、「えっ、効果があると思っていたの?」といわんばかりに一笑されてしまった。「そんな大事なこと誰もからも聴いていないぞ!」と思ったが、実際、その管の存在を知ってみると、壁を高くすることがいかに無意味であるかが容易に想像できる。

 「原発完全収束宣言!」「原発は完全にコントロールされている!」に象徴されるように、我々一般市民は、政府、東電、メディアからこの二年半、散々騙され続けて来た。そして、間違いなく今後も騙され続けることだろう。騙す方が悪いのか?騙される方が悪いのか?結局は、単純にどこかで彼らを信じてしまうこちらが無知で馬鹿なのだ。と改めて知った話であった。