2011年7月11日月曜日

哀しい感覚

 四度目の帰宅をした。諸用もあって、始めて四日間と言う長期の滞在であった。例年以上に気温が高くこの時期、手入れのしていない庭には、夏草が存分に伸びていた。自然の力はすごい。人間が手をいれなければ、たちまちモトの原野に戻ろうとする。このまま二三年放棄しておいたら、草や木が伸び放題に伸び、庭はモトより、何もかもがすっぽりと自然の姿に戻ってしまうことだろう。

 そんな自然の中で、見えない放射能は確実にその存在を誇示していた。線量は思いのほか変わっていない。ヨウ素が充満していた当初のような空気の違和感はなかったが、一度降り注いだ放射性物質は、その半減期のままに、もう今後、数年はおろか、数十年、数百年と言った時間の流れの中でしか消えていかないことを思い知らされた。少しくらいは減少しているかな・・・の期待を完全に裏切る厳しい現実だった。放射性物質は、公表されているように、人間のいのちのスパンを遥かに超える厄介なシロモノなのだ。

 それどころか、未だに収束を見ていない原発からは、例えわずかであっても、今も確実に大気を伝わってある種の放射性物質が大地へと降り積もり続けている。積算放射線量は、当然、時間が経つほどに高くなる。帰る度に計測しているいつもの地点は、ほとんど変わらずだったが、新しく測った雨どいの下や枯れ葉の上では、こちらが驚くほどの高い数値が出た。

 平均すれば福島市や郡山市程度の汚染量だが、庭のところどころに見られるホットスポットは、飯舘村などに見られる危険なそれとほとんご変わらない。文科省や市が公表しているように、住んでいい場所などでは決してないのだ。

 放射能が降り注ぐと「硬貨を舐めた味がする」とは、以前書いたチェルノブイリの農民の言葉だったが、すでに村に戻り始めている知人たちからも、錆のような味がする。皮膚ががさがさになって、便のカタチが今までとまったく違って心配、腰が痛い、精神的ストレスが、と言った、汚染地帯に住み続けていることで感じている様々な心配を聴いた。

 今回、四日ほど滞在して、放射能が心身に及ぼす影響を身を持って実感した。当初のような頭が締め付けられるような痛みは感じなかったが、マスクを外していると、明らかに喉の中の扁桃腺が腫れて来ることが分かる。そして、手や足、顔が異常にむくむのを感じた。また、身体のあちこちがまるでアトピーにでもなったように痒くなる。掻くと異常に腫れる。明らかに、いつもの皮膚ではない。滞在中ずっと継続したこうした感覚は、勿論、精神的にも大きなストレスだった。

 知人たちの話と自分の体験を合わせると、被曝した際に感じられる症状としては、喉が痛くなる。扁桃腺の肥大感。目が痛い。頭が締め付けられるように痛い。皮膚に異変が起こる。痒みが出たり、発疹が出る。便の異常。胃や腸、腎臓、心臓等のあちこちの臓器に普段ない違和感や軽い痛みを感じる。精神的ストレス等々。じつに、いろいろな症状があることが分かった。汚染地帯を抜け出すと、途端にこうした症状が消えるのだから、間違いなくこれは放射能が引き起こしている症状だ。

 専門家に言わせると、子どもたちの放射能に対する感受性は、大人の3倍から10ほどもあるそうだ。大人でさえこれほど多くの症状を実感するのだから、訴えることの出来ない子どもたちの場合にはどんなに辛いことだろう。今、この瞬間にも福島市、郡山市、いわき市に居続けている多くの子どもたちの身体や心のこれからが本当に心配だ。わずか1ミリシーベルトでも出てくると言われる低線量被曝の様々な症状を考えると、福島ばかりか、東京も含む関東、東北全域の子どもたちの未来が心から心配になって来る。日本と言う情けない国が侵し続けている国家的犯罪である。

 限りなく身体も心も癒してくれ、いつでも優しくいのちを包み込み育んでもくれた自然が、今では、こちら側の存在を拒否するように居心地の悪いものになってしまった。「これが、放射能で汚染されるということだ!」と改めて、放射能が持つ別の怖さを知った。自分でも驚いたが、この愛する自然から、家から、少しでも早く立ち去りたいと言う気持ちになった。初めてのじつに哀しい感覚であった。宙八

2011年6月29日水曜日

変わらない当事者たちの言動にただただ唖然!

 昨日、東京電力の総会があった。今日は、さらに多くの電力会社の総会も開かれた。

 その様子をテレビで見ていて、あまりにも当事者が、事態の深刻さを少しも感じてなく、微塵も反省していないことに、ただただ唖然とさせられた。こんな人間のせいで被災している自分が情けなくさえ思えてしまった。

 株主も、ごく一部の人を除いて、利益を得ることしか頭にない拝金主義の亡者ばかり。この人たちは、人間としての持つべき理性や感性をまったく失っている。その醜い言葉のやりとりに、多少でも期待していた自分がこれまた情けなかった。

 停止中の原発を再稼動して欲しいと願いに行った海江田大臣の政治家の立場ばかりを考えた麩抜けた言動にも呆れた。それに応える町長のこれまた交付金にすがりつくあさましい態度も見ていられなかった。この国の政治家たちに、リーダーたちに、人間としての尊厳、プライドと言うものはまったくないのだろうか?

 「国が安全を保証します」「それなら安心です」という両者の会話。一体、誰がどんな根拠でまたまた原発は絶対に安全だなどと言い、責任を持てると言うのだろうか?すでに、福島でそんなことがまったく不可能であったことが白日のモトにさらけ出されたというのに・・・。こんな人たちの茶番にまた騙されたとしたら、我々国民も、もう立派に救いようのない馬鹿者である。この次は、いよいよ我々国民自身が問われる番だ。

 この事故で真っ先に生れ変わらなければならなかったのは、政治家、企業家、学者、そして報道人であった。その彼らが原因でこの悲劇がこれだけ拡大したのに。彼らの変わりようが必要で起きた事故でもあったはずなのに、これだけの悲惨な状況が目の前にあるにもかかわらず、まったく変わろうとしない、変われないのもまた彼らだったと言うのは、じつに哀しい。

 これまでも、そして、これからも、一つだけはっきりしているのは、いのちのことを第一に考えない人間は、どんな立場の人間であれ、まったく失格であると言うことだ。

 この災害は、日本人のいのちに対する考え方を転換させるために起きた災害だ。子どものいのち、若者のいのち、自分のいのち、日本人のいのちを何よりも優先して考えることができるようになれるかどうかが問われている。何よりも大切なこの気持ちだけは失わない人間でいようよと声を大にして呼びかけたい心境だ。宙八

2011年6月27日月曜日

体内被曝覚悟のトキが来た

 事故の当初、騒がれていた原発から拡散された放射線量の問題、多くの地域でモニタリングが始まり、その影響の大きさが次第に明らかになって来た。

 先日、小田原で「原発事故を考える会」が催された。隣村の友人と私、飯舘村の村おこしに関わった研究者の三人がパネリストとして呼ばれた。以前、小田原の茶畑でセシウムが検出されたことから開かれた会であった。

 放射能の問題ほど、受け取る側の間に大きな温度差があるものもない。目に見えないものが相手だけに、その人の考え方次第でどのようにも解釈できるからだ。

 お茶の葉に放射性物質がでたものの、原発から距離のある小田原では、当然、福島県民のようなピリピリとした雰囲気はない。どちらかと言えば、参加者の多くが、少し身に危険が迫ったので事態をよく知って置きたい。というような参加の仕方であったように思う。

 市長も参加してくれたこの会の参加者からは、事故の悲惨さが肌で感じられて良かったと言う感想を多くもらった。こちらも被災者としての実情を報告できてとても良かったと思う。

 体外被曝の問題である放射性物質の危険性は、どれだけ周辺に降り注いだかによる。線量が高ければ避けなければならないし、問題がなければ、パニックになる必要はない。

 しかし、体内被曝の問題はまったく別である。子どもを抱える若いお母さんが心配していたのは、これからも給食と摂り続けて良いのか、店で買う野菜や食品はどうしたら良いのか?と言うものであった。先日、いわきに戻った際に知人から聞いた話が、この体内被曝を避けることの難しさ、危なさを教えてくれた。

 「いわきでは、周辺の海で獲れたものを店で売っているのだろうか?」という私の問いに、知人は、「いわきで獲れた魚は売れないので、千葉県の港で荷降ろしをして千葉産として売っているらしい」という話を、当たり前の話だよねと苦笑しながら話してくれた。そもそも魚は、荷おろしをした港が産地になるそうだから、当然のことでもある。

 そんな決まりを知らない消費者が、千葉県産なら安心といわきの魚を食べる。これもまた、当然のことだ。これは、魚と言う一部の食品についての話だが、当然、人はただ一つの食べ物で済ますことはない。どの家にも、日々、何種類もの食べ物が食卓に上がる。外食の場合には、まったく店にお任せの食べ方になってしまう。

 野菜、果物、その他の食品の、栽培から流通、販売に至る広く複雑な目に見えないルートを考えると、例え、一部が検査で問題はないと公表されたところで、汚染された食品は絶対に消費者の口に入らないと誰が言えるだろうか?

 体外被曝は、地域が限定される。しかし、こと空気から、水から、そして、食物から摂り込まれてしまう体内被曝に関しては、地域はまったく限定されない。日本中が汚染地帯になる可能性があることを、十分に認識しておく必要がある。

 「フクシマ頑張れ!」の名のもと、福島県民を応援してくれるその気持ちはあり難いが、実害があるかも知れない汚染食品を、風評被害の名のもとで売ったり食べたりしてしまうのは、あまりにも危険だ。この危険な事態が、今後、日本全国のどこででもきっと起こるはずだ。

 体外被曝、体内被曝、いずれにしても、最早、日本に逃げられるところはどこにもないことがそろそろ分かって来た。もう覚悟を決めて、どうこの危険から赤ん坊を、子どもを、若者を、家族を守ることが出来るかを、自らの頭で判断し、サバイバルして行くしかない。

 世界のどの国よりも安全で平和だと言われて来た日本とその国民が、今はどの国よりも危険な国になってしまった。島国特有の平和ボケと言われる他人任せの呑気な国民性では、この危険な事態を生き抜いていけないことを、今こそ、誰もがしっかりと肝に銘じる時である。

 

 

 

2011年6月26日日曜日

変わらぬ風景が心の中から遠のいて行く・・・

 昨日、賠償問題の目的もあり、いわきの自宅へ四度目の帰宅をした。

 何度帰っても、30年間住み慣れた家の様子は、いつもとまったく変わらない。梅雨時の新緑が一杯の豊かな山の風景だった。

 異なるのは、異様な自分たちの姿。猛暑の中、長靴を履き、ビニールのカッパを頭からすっぽりとかぶり、ゴム手袋をはめ、マスクを二重に装着した放射能完全防護のスタイル。

 汗がカッパの中を滝のように流れる。原発事故の始末に追われる作業員のことがふと頭をよぎる。こんな格好で一体何が出来るんだろう?放射能の始末どころか、あっと言う間に熱中症で倒れてしまう。彼らは、なんと言う過酷な仕事をしてくれているんだろうと・・・。

 そして、そんな彼らを知りながら、今でも他人事の言動で明け暮れる企業家、政治家、学者たちのなんと多いことか、情けなさを通り越して哀しくなってしまう。彼らこそが真っ先に、瓦礫の撤去をやり、放射能の汚染地帯を歩くべきだ。そんな心が、ふっと湧き出る。

 線量の高い家への帰宅は、出来るだけ親だけで済ませたいが、長男は、なぜか絶対に行くと言う。もう大人だから駄目とも言えない。危険を知りながら、彼なりに何かを確かめたいことがあるのだろう。この家も、やがて、まったく戻れない場所になってしまうかも知れない。そんなことを想うと、同行させるのも断るのもどちらも辛い。

 いつものことながら、自宅周辺の放射線量を測定器で測る。かすかな期待に反して、最初の測定とほとんど変わらない線量の高さだ。いわきは、とっくに安全宣言を出しているが、この山奥は、まだ決して安全とは言えない。話題の飯舘村とほとんど変わらないくらいの高い値が出てしまう。全国どの地域でも、公表はされてはいないが、ホットスポットと言われる場所は沢山あるに違いない。まだ測っていないから分かっていないだけなのだ。

 哀しいのは、行くたびに、測るたびに、住み慣れたこの地が少しずつ、心の中から遠のいて行くことだ。見慣れた家が、庭が、風景が、思い出が・・・。この風景は何も変わらないはずなのに、なぜかだんだんと心の中から薄れて行くようだ。放射能で家を追われた誰もがきっと、そんな気持ちを感じているに違いない。

 原発事故は、地震や津波の災害とは大きく異なる。自然災害に復興は可能だが、放射能の汚染には復興の道は閉ざされる。一度完全に汚染されてしまった場所は、過去や現在は勿論のこと、未来さえも奪ってしまうのだ。この美しい日本のどこであっても、そんなことが起きてはいけない。

 嬉しかったのは、池に沢山のおたまじゃくしが居たことだ。ここ数年めっきり減っていたのにうじゃうじゃ居た。まもなく、主の居ないこの池では、あの懐かしいカエルの合唱が響き渡るに違いない。せめてもの嬉しいことだった。「放射能でカエルは元気になったのかもな!」哀しい冗談がまた一つふと口から出てしまった。

 青空のもと、新緑一杯の中で、全身をカッパですっぽいりと覆った息子が、子ども時代を懐かしむようにブランコに揺られている。その後姿がなんとも切なかった。

2011年6月21日火曜日

いのちの源流に触れて

 今年で4回目となる伊勢神宮のお膝元での半断食セミナーが無事終わりました。

 例年に比べたらほぼ半分の参加者、主催する私たちが避難中の身であり、大きな震災が起きたこんな時期ですから、当然のことでもありました。

 伊勢でセミナーをやることは、伊勢神宮がお米を祀る神様であることを知った以前からずっと興味のあることでした。それが、4年前に知人の縁からたまたま実現したのです。

 伊勢神宮への参拝者は年々増えていると言います。今年はその人数がさらに多くなっていると聞きました。やはり、いろいろなことが起きると、人は神様に祈りたくなるのかも知れません。

 世界の多くの神殿が、遺跡として存在するのと異なり、伊勢神宮は、2000年間一日も途切れることなくその神話(儀式)を今に伝え続けている稀有な神殿であると言います。

 かつて、アインシュタインが神宮を訪れ、「こんな素晴らしい宗教を持つ日本人は、きっとこれからの世界をリードして行くに違いない」と言ったといいます。果たして、我々日本人に、本当にそんな力が残されているのでしょうか?

 伊勢神宮の素晴らしさは、自然の中で生かされている人間が、環境に手を入れてもいいとされるあり方が、究極までに簡素な形で表されています。それが伊勢神宮の美しさです。自然の中であるべき人間の姿が、見事に表現されているのです。

 だからこそ、2000年と言う気の遠くなるほどのトキを、あらゆる災いや国難を乗り越えて存在し続けて来られたのでしょう。あの凛とした神殿と場のあり様は、揺ぎ無いいのちの源流の確かさを感じさせてくれます。

 日本の歴史始って以来とも言える大震災が起こり、まるで津波のようにざわめいていた心が、食を整えて身体を浄化し、伊勢神宮のいのちの深みの世界に触れたことで驚くほどに落ち着きました。海や森の自然に触れた時の安らぎとも違うこの感覚は、人が自ら創り出す文化の力と言ったものなのかも知れません。

 次の時代を担う子どもたちに、若者たちに、私たちは一体、どんな社会を引き継きたいと思っているのだろうか?今こそ誰もが真剣に考え、そんな社会に向かって行動しなければならない時だと、改めて教えてもらった様に思います。

2011年6月17日金曜日

講演お知らせ

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 橋本宙八さん&橋本ちあきさん スペシャル1Dayセミナー

       『食で守ろう子どもたちの命』
     ~今、私たちにできる大切な7つのこと~
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<セミナーで扱う予定の内容>
  ・原発事故後、起きていることの真実
  ・子どもたちの命を守るために大切な食のお話
  ・低線量被爆から身を守るために必要な3つの手当方法
  ・これからの新しい生き方と価値観をどう変えていくか
  ・この時代にこそ必要な「子を生み育てる」ことの意味
  ・全てのお母さんに伝えたい子育てに大事な3つのこと
  ・この先の世界に大切な男女の在り方
  ・子どもたちの幸せで豊かな未来のつくり方 3つのステップ
  ・質疑応答 ほか

【内容】
日時 : 2011年7月2日(土) 10時半~16時

場所 : 東京都港区田町(田町駅から徒歩3分)
     ※詳細はお申し込みいただいた方へご案内します

講師 : 橋本 宙八・橋本ちあき

価格 : 大人  7,700円 (美味しいマクロビオティックお弁当付き)
      子ども 1,100円 (お席が必要なお子様 子ども用お弁当付き)

申込 : http://bit.ly/eaMn12

主催 : 「子どもたちの幸せで豊かな未来を応援する会」代表 平野みほこ

問合 : 平野みほこ mihoko-heart@dream.jp

【お子様とのご参加について】
  ・お子様連れ、大歓迎です。
  ・子どもたちが自由に遊べるスペースも作ります。
  ・お席が不要のお子様は、参加無料です。

※携帯電話から申し込む場合は下記のURLをクリックして
 申し込みをしてください。

携帯電話用 申し込みフォーム 
http://bit.ly/hlKbhe

2011年6月13日月曜日

いのちがけで考えなければならないこと

 私たちが忘れてならないのは、未だに、放射能が広く日本中の県や市や町に、山や畑に降り注いでいて、高濃度の汚染水も原発から海に流れ続けていると言うことです。この危険な状況は、原発の処理が済まない限り、数ヶ月、あるいはそれ以上まだまだ続きます。

 その危険度を知る手立てとなる放射能の計測が、ようやくあちこちで始まりました。そして、想像以上に広範囲に放射能が降り注いでいることが判明しています。

 これからの私たちに問われるのは、体外被曝の何倍もの影響力があると思われる体内被曝の問題です。汚染された水、野菜や魚、肉、食品からどう自分のいのちを、家族や子どもたちのいのちを守ることが出来るか?と言うことです。

 政府の発表は言うまでもなく、テレビや新聞、雑誌の報道は、安全を知るためには決して十分ではありません。一人一人が独自に、真剣に、今口にしようとするものが果たして本当に大丈夫かどうかを判断して行かなければなりません。

 各地で収穫された野菜の安全度も公表されていますが、これも、簡単には信じてはいけないことでしょう。なぜなら、検査はあくまで、ごく一部のものについての検査であって、すべての野菜が安全だという保証では決してないからです。

 私の家では、わずか数メートル離れた所でも、線量が高いところもあれば、低いところもありました。放射能は、風の向きや雨によって、容易に、高いところと低いところの違いが出てきます。極端なことを言えば、計った野菜は大丈夫でも、となりの野菜が危ないこともあり得るのです。

 多くの農家は、良心的だとは思いますが、心配される野菜であっても、政府の規制がなければ出荷してしまうでしょう。魚も、広い海を移動するすべての魚が安全かどうかを計ることは不可能です。店頭に並べられた魚が100パーセント安全がどうかを知る手だてはないのが実情です。

 自給のために野菜や果物を作っている人たちも沢山います。自らの手で育てた野菜や果物、多少心配であってもきっと食卓にのせてしまうでしょう。善意で家族や友人に送る人たちも一杯いるはずです。漁師さんも自分で獲って食べる魚の汚染度を気にはなっても食べない人はいないはずです。

 汚染された牧草を食べた牛のミルクや肉も大いに心配です。お母さんや学校がどれだけしっかり安全を保証できるでしょう。加工された食品がいたるところで販売され、日本全国の外食産業に多くの検査の網を潜り抜けた食品が出回ることはほぼ間違いありません。

 決して不安をあおりたくはありませんが、今後の体内被曝の心配を考えるとほとんど絶望的に思えるのが実態です。この深刻な状況をどうサバイバルして行くか?すべての国民が、本当にいのちがけで考えていかなければなりません。

2011年6月10日金曜日

素晴らしい提案

 震災のお陰で、沢山の素晴らしい人たちと縁が出来ている。そのお一人に、京都の嵐山に住む森孝之先生がいらっしゃる。素晴らしい自然環境の自宅を「エコトピア」と名付け、自然と調和したライフスタイルの大切さを多くの人に発信している。

 その先生が、先日、静岡に拠点のある小さな農業を提案する「花の村」の機関紙に書かれていた話がとても素敵だった。

 それは、今回の震災で大活躍の自衛隊についての話である。「自衛隊を国是で災害救援隊に生まれ変わせ、武器ではなく、医薬品や水などを背負い、被災者のもとにパラシュートで舞い降りてもらう。世界に天災が生じるたびに災害救援隊として出動して、実績と実力を積み重ね、世界からあてにされる国となり、日本を不可侵の対象にしてもらう。そうすれば、日本の若者はきっと大勢が自衛隊に入隊し、世界になくてはならない国をめざして心血を注ぐはずだ」というものである。

 これは、素晴らしい提案だと思った。自衛隊は、その理由が何であろうと、とにかく戦争を目的とした集団というマイナスイメージを持っている。これを、世界を災害から救うプラスイメージの集団に変身させる!と言うものである。

 今回の災害を機に、もし、日本の自衛隊をそんな集団に生れ変わらせることが出来たら、どんなに素晴らしいことだろう。原発事故の汚名を返上し、どんな国からも尊敬される国になるかも知れない。震災処理、政局だけに夢中な、点数が下がりっぱなしの政治家に、この高邁な提案をぜひ実現してもらいたいものである。

2011年4月30日土曜日

橋本宙八講演会「食で守ろう私たちのいのち」お知らせ!

講演会のお知らせです。

こんにちは、平野美穂子です。

先週、4月23日(土)に宙八さんによるチャリティ講演会
「食で守ろう私たちの命」を開催させていただきました。

ご参加いただいたみなさん
また、講演会をご紹介いただいたみなさん
本当にありがとうございました。

宙八さんご自身が被災されて大変な中、
宙八さんの言葉はとても心に強く感じるものがあり、
とてもあっという間の3時間でした。

ご自身でチェルノブイリにも行き、
チェルノブイリの子供たちを日本で預かり手当てされた話は、
他では聞くことのできない大変貴重な内容だと感じました。

参加者の方のコメントを一部ご紹介します。

●やはり直接話が聞ける機会はありがたい。
「惨事の裏で起こっていることを全部終結させて、これからを…」
というのは、なるほど!と思った。
宙八さんの捉え方には希望と気合(?)を感じられた。(山下智美様)

●自分が感じていたのが間違いではなかったと思いました。
私もちゃんと伝えていかないとと思いました。(えみ様)

●良い情報と考え方が聞けて良かったです。(二木秀幸様)

●あらためて自分が抱いていた危機感は、
間違いではなかったと確信しました。
これからは、自分の直感を信じ大切な家族を
守っていきたいと思います。(双子ママ様)

テレビや新聞の情報と報道されない真実の間で悩む中、
今回の講演会が少しでもお役に立てたのなら大変嬉しく思います。

あらためまして、震災後から情報を発信し続けてくださる
宙八さん、ちあきさんに心から感謝致します。

5月7日(土)に追加開催させていただきます
宙八さんの講演会も残席わずかとなりました。

ご興味のある方は早めの申込みをお待ちしています。
また、ぜひ大切なご家族やご友人の方などへも
講演会をご紹介いただけましたら幸いです。



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      『食で守ろう私たちの命』

  ~放射性物質から身を守る3つのステップ~


日時:5月7日(土)10時~13時(9時40分受付開始)


場所:東京都品川区 大井町きゅりあん 4階 第1特別講習室
   JR京浜東北線、りんかい線、東急大井町線 大井町駅徒歩1分


講師:橋本 宙八


価格:4,700円(税込)
   美味しいマクロビお弁当付き


詳細・申込はこちら
http://bit.ly/eaMn12

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タイミングの合う方のご参加をお待ちしています。


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恋愛セラピスト
マクロビオティックコーディネーター
ライフワークスクールナビゲーター


   平野みほこ


Mail:mihoko-heart@dream.jp


【本田健さんとルーク平野&平野美穂子の
~豊かさの鍵はパートナーシップにあった~
対談音声無料プレゼント中です】
http://pre-sent.info/present02.html


恋愛パートナーシップ&ライフワークスクール
URL:http://pre-sent.info/


ハートでつながるパートナーシップ
Blog:http://ameblo.jp/mihoko-heart/

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わが愛する国の哀しい一面

 震災が起きてから50日が経った。この間、避難しながらずっと考え続けて来たことは、こうした緊急時に、私たちが優先して守るべきものは一体何か?と言うことだった。
 それは、言うまでもなく、子どものいのちであり、その子どもを抱えている母親たちであり、未来を託す若者たちのいのちである。
 生物は、動物であれ植物であれ、次のいのちのために自らのすべてを捧げる。それが、この地球上に40億年もの間、営々と豊かないのちが繁栄し続けて来た理由であり、生物がいのちを繋いで行くための鉄則である。このあり方を手離すことは、そのまま、そこでいのちが途絶えてしまうことを意味している。当然、人間が生きることの意味もまた、究極的には、この一点に絞られる。
 国民が安心して生きられる国とは、この生物の基本である守るべきいのちを、どんな場合でも何よりも優先して守ることの出来る社会の仕組みを持っていることだ。そして、そうした仕組みを支える人材をしっかりと育てている国のことである。私たちの日本は、果たしてそうした国であるのだろうか?
 津波ですべてを失い助けを求めていた人に、政府は速やかに手をさし述べることが出来ただろうか?たしかに多くの情報が途絶え、救助は困難を極めただろうが、避難所の中には、1週間も二週間も食べ物や水さえも届いていなかったところがあったと聞く。なぜそんなことがあったのだろう?途上国でさえ、緊急時には空から物資を投下しているのに。先進国日本では、そんなことさえも出来なかったと言うのだろうか?
 震災直後、アメリカを始めとして海外のいくつかの国が、子どもを非難させる援助を惜しまないと政府に申し出たが、日本政府は断ったという。現在でも、イタリアから、NGOを通して250人の子どもを避難先に引き受けたいと申し出ているが、政府から安全と言われ続けている市民からの申し出はほとんどないとも聞く。
 私たちが住むいわき市では、明らかに被曝の心配がある時期に、いち早く小学校、中学校の新学期の始まりを宣言してしまった。そして、昨日は、市長が、いわき市では学校給食に、いわきで採れた野菜を地産地消で使うと誇らしげに宣言したと耳にした。市内の農家には、放射性物質をかき混ぜることになるので、絶対に畑の土を耕しては行けないと言う通達している一方で、である。
 政府は、先日、危険地帯の避難、保障問題が全国に拡大するのを懸念してか、一年間浴びてもいいと言われている年間の被曝線量の国際基準の1ミリシーベルトを、なんと、20ミリシーベルトまで上げてしまった。一体誰が、何を根拠に?簡単に変更してしまったのか?子どもや若者に、これまでの20倍もの危険性を引き受けろと言うことだが、その結果の責任は誰が取ると言うのか?
 こんな言動や事実の数々を上げたらきりがない。この大惨事に、国の姿勢、政治家の言動から、日本の子どもや若者のいのちを守ろうと言う姿が一切見えて来ないのだ。それどころか、自分の立場や利益や考え、大儀も正義も、人としての心さえも捨てている情けない姿が見えるばかりである。
 未来のいのちを守ろうともしない政治家、企業、御用学者には、この惨事をどう解決するかの道筋を語る資格は一切ない。国を思い動かしている立場の人間などとは決して言って欲しくない。国民は、自分のいのちは自分で守るから、せめて、ウソやその場しのぎのいい訳だけはもう止めて欲しい。これ以上、日本の未来のいのちを危険な場所や状況に追い込まないで欲しいと心からそう願う。
 この二ヶ月あまり、自分の国の表と裏の姿を見続けて、残念ながら、我が愛する祖国日本は、まったくと言っていいほどこうした緊急時に対応できる国の体を成していなかったことを痛感させられた。いや、かってはきっと、どの国よりもそんな国や国民であったはずなのに、である。今は、自分がこの国の国民であり、責任ある大人の一人であることを情けなく、申し訳なく、そして哀しくさえもある。
 原発の事故の身体的影響は、ただちには起こらないだろう。しかし、甲状腺がんや奇形などの体内被曝から生じる遺伝子障害は、体外被曝に比べて何倍も危険なのだ。これらの悲劇は、チェルノブイリの報告にある通り、確実に、数年後から始まるに違いない。被害者の数は、想像をはるかに超えたものになると指摘する専門家も多い。
 もし、無事であったら何よりのことである。皆で笑顔で「良かったね!」と胸を張って言い合いたい。ただ、こと原発に関する限りは、まだまだ危険な事態が継続中である。今日も、今も、放射性ヨウ素やセシウムは、福島の崩壊した原発から日本の空へ、海に、放出、拡散をし続けている。水素爆発の可能性もまだまだ消えていない。子どもたちを守り、若者を守るためにも、日々の備えだけは忘れずに居たい。宙八
 

2011年4月27日水曜日

自分で判断したい体内被曝のリスク

 空気や水、食べ物によって広範に、長期にわたり起こる体内被曝は、体外被曝よりずっと深刻な問題である。
 チェルノブイリでは、事故処理に従事した86万人中、5万5000人が14年間に死亡したと14周年の追悼式典で発表されたと言う。ソ連邦内での被爆者の総数は700万人以上で、その内100万人がガンで死亡したという衝撃的なリポートもあると言われている。
 この数値から見ても分かる通り、チェルノブイリの被害者は、その大半が体内被曝によるものと考えられる。
 数日前のテレビによると、高濃度に汚染されたベラルーシでは、安全な場所へ国民を移住させるための国家予算の15パーセントが計上できなくなり、今後は、汚染地帯に住み続けてもらうしかないと発表していた。
 25年経った今でも、被災者は汚染地帯に住まわされ、体内被曝を知りながら危険な食物を食べ続けなければならない二重、三重の苦難を背負わされている。当時の政府は、これらの危険性をまったく国民に知らせていなかった。
 メディアで度々目にする1ミリシーベルトと言う数字、これは、ICRP(国際放射線防護委員会)が一年間に許容できる被曝線量の基準として国際的に公表したものだが、この1ミリシーベルトは、決して安全な数値ではないことをはっきりと理解しておきたい。これは、確率的に1万人に一人はガンで死ぬと言う数字であり、体外被曝の許容線量であって、鼻や口から摂り込む体内被曝分についてはまったく計算に入れていない数値なのだ。
 一秒の何分の一にも満たないレントゲンやCTスキャンの被曝線量が、一時間外部から受け続けた場合の線量と同じ数値であるというまやかしにも、当然、騙されてはいけない。
 今後は、食物による複合的な体内被曝の状況が様々なところから報告されてくるはずだ。今日の福島原子力事故対策統合本部の記者会見では、体外被曝のリスクは、体外被曝の0.2%だと言っている。一方、リスクは2倍から3倍だと考えるべきだと言う専門家も居る。さて、皆さんはどちらがより正確な数字だと思われるだろうか?
 体内被曝の状況は一人一人がまったく異なる。あくまでも自己責任でそのリスクを把握しなければならない。他人任せでは絶対に駄目だ。赤ん坊や子どもを抱えている親には、正しい情報を的確に見つけ出す情報収集力と自己判断力が今こそ問われている。
 事故はまだ終ったわけではない。この瞬間にも、大気中へ、海へと高濃度の放射性物質は放出され続けている。まだまだ危険な状況が起こる可能性も残されている。まるで終ったかのような風評被害にだけは騙されてはいけない。宙八
 

2011年4月15日金曜日

家庭で出来る「放射性物質」予防法

昨日、地震直後から自主避難地帯にずっと滞在している友人と電話で話をした。隣村に行った際、放射線量の検査(スクリーニング)を受けさせられたと言う。

 その時、身体全体の検査ではさほど大きな線量は検出されなかったが、手に計器を当てた途端に針が大きく振れ、我ながら驚いたと言う。手を洗った後に再度計ったら、その線量が数分の一にも減ったと言う。「いろんなものを触っているからかなあ」と言っていたが、まさしくそういうことなのだろう。

 感染症の予防には、うがいをしたり手を洗うことは基本だが、放射能汚染の場合にも、こうした予防策が良いと言うことの証明だ。実際、手は身体のどの部分よりも色々なものに触れる。ほとんどのことは手でやる訳で、一番汚染されていたのが手であったこともうなずける。

 体内被曝を予防する基本はマスクだが、より体内に放射性物質を摂り込まないようにするには、鼻や口の粘膜に付着したものをうがいで落とすことだ。ものを食べる時には手に付着したものがそのまま口に入るのだから特に気をつけたい。赤ん坊には親が注意をし、子どもには言って聞かせる必要がある。

 汚染地帯に入る時にはビニールのかっぱなどで全身を覆う。放射性物質が身体に付着するのを防ぐためだ。普段、健康に良いからと綿や麻の服を着る人も多いが、こうした布は、表面がざらざらしていて、余計に放射性物質が付着しやすい怖れがある。こうした状況下では、表面がサラサラしている化繊の服やビニール系のものが良さそうだ。

 外出から帰った際には、玄関先でハタキなどで汚れを落とし、うがいをし、顔を洗い、しっかりと手を洗うことが大切である。いつも以上にこまめに掃除を心がけることも必要だろう。子どもが口にし、触るものもきれいにしたい。家庭で出来る簡単な除去法の一つである。宙八

2011年4月11日月曜日

<食で守ろう私たちのいのち講演会のお知らせ!>

若いお母さんによる以下の講演会があります。興味のある方はご参加下さい。宙八

こんにちわ、平野美穂子です。
私自身、7ヶ月の娘がいる親として
今回の原発事故による長期化している
放射能の影響を大変危惧しています。

楽観論と悲観論の間を行ったり来たり
微量の漏れとはいえ、いったいいつになったら
安心して空気を胸いっぱい吸うことができるのか?
早くそんな日が来ることを祈らずにはいられません。

今、私たちが直面している試練の形は、
ここを支点として立ち上がり、機会として受け入れ、
きっと乗り越えて成長できると信じ、祈る毎日です。
今、被災地におられる方々、その他関係者の方々は
私たちがメディアを通して知る以上に過酷で深刻だと聞きます。

宮城県にいる被災した私の両親、兄も
すでに精神的・肉体的な限界を超えています。
いまだ、会うことも叶わず、ここしばらくは電話で話す声に
精気を感じられなくなってしまいました。

大きな無力感の中でも、被災しなかった私にできることは、
小さなことでもやろうと改めて思っています。

宙八さんの「食による放射線対策」を読み、
宙八さんの食の知恵をより多くの人に届けたいと思い
宙八さんによるチャリティ講演会を東京で開催することにしました。

尚、イベントの利益の全額をすべて日本赤十字社を
通じて寄付させていただきます。

また、今回は2部構成となっています。
どちらもお子様との参加が可能です。

ただし、お子様用のお席のご用意はありませんのでご了承ください。
お子様用のお弁当(700円)をご希望の方は、
申し込みフォームの備考欄にご記入ください。

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【第1部】
      『食で守ろう私たちの命』

  ~放射性物質から身を守る3つのステップ~



日時:4月23日(土)10時~13時(9時40分受付開始)


場所:東京都品川区 大井町きゅりあん 4階 第2特別講習室
   JR京浜東北線、りんかい線、東急大井町線 大井町駅徒歩1分


講師:橋本 宙八


価格:4,700円(税込)
   美味しいマクロビお弁当付き


詳細・申込はこちら
http://bit.ly/i7TiB6


【第2部】
     『震災後の世界をどう生きるのか』 

  ~2011年からの激動を乗り切るために大切な3つのこと~


<内容>
 ●2011年からの激動を乗り切るために最も大切な3つのこと
 ●感情にふりまされないために最も大切なこと
 ●自分が本当に大切にしていることを見極めるための3つのステップ

日時:4月23日(土)13時30分~16時30分(13時15分受付開始)


場所:東京都品川区 大井町きゅりあん 4階 第2特別講習室
   JR京浜東北線、りんかい線、東急大井町線 大井町駅徒歩1分


講師:エドウィン・コパード・ジャパン代表 賀集美和
   ルーク平野
   平野美穂子


価格:3,000円(税込)


詳細・申込はこちら
http://bit.ly/i7TiB6

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本日から申し込みを開始致します。


定員30名となりますので、ご興味のある方は
お早めに申込みされることをお勧め致します。



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恋愛セラピスト
恋愛食コーディネーター


   平野美穂子


Mail:mihoko-heart@dream.jp


恋愛パートナーシップ&ライフワークスクール
URL:http://pre-sent.info/


ハートでつながるパートナーシップ
Blog:http://ameblo.jp/mihoko-heart/
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2011年4月9日土曜日

食が持つもう一つの力

 生命は、細胞や血球にそのカタチが表れている様に、周囲に存在する様々なエネルギーを有機的に集約、調和、一つにまとめるという大きな力を持っている。
 
 一方、放射線は、その字にある通り、私たちの身体を最も深部からミクロの力で放射状に切り刻む。DNAを二度と本来のカタチに戻ることが出来ないほどにバラバラにしてしまう巨大な拡散、破壊の力を持つ。

 生命と放射線は、集約する力と拡散する力の、相反するエネルギーを持つ。放射性物質が細胞の集合体である生命にとって、恐ろしい敵となるのはこうした理由からでもある。

 被曝の状況に置かれた時、身を守るために気をつけたいのは、出来得る限り生命エネルギーが細胞内に集約、留まる力のあるものを選んで食べることだ。

 その代表が米や雑穀などの穀物類である。穀物は、内在する生命エネルギーが見事にその丸いカタチに表れている。表皮や胚芽のある全粒穀物(玄米や雑穀など)は、蒔けば新しい生命となる理想的な「生きた穀物」である。私たちが、穀物を主食とする理由もここにある。

 一方、同じ穀物であっても、小麦粉や米粉のように一度粉砕したモノは、粒のままの穀物に比べると、本来の形が壊されていて、生命エネルギー的には少々劣る。

 穀物を粒のカタチのままに食べると言うことは、そうした気のエネルギーを丸ごとそっくり体の中に溜め置くことでもある。そうしたものは、そうでないカタチのものに比べると、より放射能に強い食べ物であるとも言える。

 また、野菜で言えば、上に伸び、香りの強い、青い色をした葉物よりも、地面の下方に伸び、赤や黄色、白のような明るい色を持った人参、牛蒡、大根などの根菜類がより強い生命エネルギーを持っている。カボチャ、蓮根、自然薯などは、そうした野菜の一つである。

反対に、気をつけたら良い食べ物や飲み物は、身体を緩めたり、冷やしたり、膨らませたりする拡散の力を持つものだ。砂糖がたっぷり入ったスイーツやパン、菓子類、熱帯の果物、香辛料、清涼飲料水、アルコール等は、こうした性質を持ち、放射能に対する身体の抵抗力、免疫力を下げてしまう。食物には、興味あるもう一つの力が隠されているのだ。

2011年4月7日木曜日

疲れた時の対処法

「疲れた!元気が出ない!調子が悪い!ストレス一杯!」と感じた時、多くの人のやることが「好きなお菓子を一杯食べる!」とか、「ご馳走一杯食べて元気になる!」とかいうこと。だが、残念ながらその結果は、目的に反して裏目に出ることが多い。

甘いお菓子の食べ過ぎは血液の質を悪くし、だるさを余計に増してしまう。ごちそうの食べ過ぎは、胃腸や肝臓、腎臓の疲れを増す。疲れを取るつもりが、もっと疲れた身体や心を作り出してしまうのだ。

この悪循環で、身体がいよいよくたびれ気持ちもますます落ち込むことになる。長引けば、症状もいろいろ出て、病気の発症にもつながり兼ねない。

この回避には、偏食と不調の悪循環から抜け出すことだ。言うなら、足し算ではなく引き算!外食を減らし、お菓子やアルコールを極力摂生し、とにもかくにも、力になるご飯をしっかりと食べることである。可能な人は、自然な食材、粗食、少食、少飲をこころがけ、時間をかけてゆっくりとていねいに良く噛んで食事をすることだ。宙八

2011年1月18日火曜日

ハイチの少年に教えられたこと

昨年、地震で大きな被害を受けたハイチは、その後、コレラの感染等の拡大で復興作業が進んでいないで悲惨な状況が続いている。先日、そのハイチのストリートチルドレンの様子を知らせるBS番組を見た。
彼らの多くが親を亡くしたり、親の暴力から非難するために止む無く家を失った子どもたちで、他の貧しい国の子どもたち同様、一日に一回の食事にさえありつけない、想像を絶する厳しい生き方を強いられている。その中の一少年の様子を撮影した番組だった。
家のない彼には、いつも一緒に居る同年代の少年と弟のような年下の少年が居た。すべてを分け合い必死に生きている三人。ある時、年長の二人が裸同然の年下の少年を見て、即座に、自分が着ていたシャツとパンツさえも脱いであげてしまう。当たり前のようにそんなことをする彼らに驚かされたが、さらに、その少年がインタビューに答えて言った一言が忘れられない。
それは、復興の遅れから政府への不満が爆発し、「ハイチに民主主義を!」と訴えデモする大人たちが、自らの持てるものは他人に与えない。そんな事実に矛盾を感じた少年の一言「民主主義って分け合うことだと思う!」だった。親も居ない、家もない、学校にも行っていない少年が、人類の誰もが願う社会のあり方を、一言で「分け合うことだと思う」と言い放ったのだった。
この言葉を聴きながら、食べ物はもとより、有り余るほどのモノを持ち、「さらに多くを奪い取って人に打ち勝つ人生を!」と教育を受けている日本人の何人が、私も含めて、このハイチの少年の一言が理解できるだろうか?頭をゴツンとなぐられた。「政治とは何か?」「教育とは?」「社会の豊かさとは?」「人間とは?」そのあるべき姿を、真理を、一握りの食さえ手に入らず、生きて行くことだけで精一杯のハイチの少年から教えられた。