いわきに居た頃(もうそう書かなければならなくなった)、限界集落と言われる地区の中とは別に、近隣に長年付き合った友人たちが10人ほど居た。私にとってはかけがえのないコミ二ティだった。その友人達とも原発事故の被災でバラバラになってしまった。
その中の一人で、いち早く移住を決め、長年手塩にかけたこだわりの家を売り払うことを決断した友人が、「これからは、見晴らしのいい場所に住まなきゃね!」と言っていた言葉が頭に残っている。
いわきのわが家も彼の家も、素晴らしい自然の中にあったが、たしかに、そう開けている環境ではなかった。それだけに、もし今後、終の住処を選ぶことがあったとしたら「見晴らしのいい所がいいなあ」とそれ以来ずっと思っている。
都会の暮らしは、人や文化を楽しむためにはたしかに良いが、反面、日々の暮らしの煩雑さや情報の多さには少々辟易する。特に、被災者として見ざるを得ない原発情報や政治や経済の動向。世の中の波の数々。時には発信。どれもが、今という時代に生きて行くためには欠かせないことだが、二年もこんな波に翻弄されていると、そろそろこの揺れから逃げたくなっても来る。このままでは、寿命が縮む危機感さえ感じる。
人生も60歳を過ぎれば、世の中や人生の何たるかが見渡せるようになる。少々のことには動ぜず、無用なことはさらりと流す術も身につけて来る。体力の減少やモノ忘れのリスクも、ある意味では便利なことでさえある。若い時には無かった遠くを見る目は、年配者ならではの特権でもある。
老子の言葉に、「広大な宇宙から見れば、人間世界の出来事はすべてがアブクのようなものだ!」がある。あまりにも大きすぎる視点は世間では通用しないが、今の時代のように、あまりにもミクロな問題に翻弄され続けると、誰もが疲れ、時には命取りにもなってしまい兼ねない。
厳しいグローバル時代を生き抜くためには、少しでも見晴らしのいい場所を確保し、遠くを見て生きて行くことは大事なことだ。淘汰されるかどうかもすべてが自己責任、自分の判断力次第の時代になる。津波で生き延びることが出来た「てんでんこ」の教えを、ここでも私たちは忘れてはならない。