震災後、来日したダライラマが、日本人に向けて言った言葉を思い出す。
「なぜ人々の欲望が止まらないか?それは幸福感を絶えず外部の刺激に求めているからです。 しかし、本来「空(くう)」であるモノの世界に永遠の満足感はありません。今こそ、日本人は次の段階へ、心の平和という本当の幸福の世界へと向かうべき時です。」
すべてのモノは移り、変わりゆく。どんなに好きなモノでもいつかは壊れ、目の前から姿を消す。愛する人も、大切な家族も、友人も知人も、誰よりも愛おしいこの自分自身でさえ、いつかはこの世を去る。
日本人は元来、このモノの本質であるところの「無情」を最も良く知り、心の豊かさの世界、「侘び寂び(ワビ、サビ)」の文化を創り上げた。そのモノのアワレの本質を何よりも愛し、慈しんで来た民族だった。相手に心からの敬意を払う日本人の挨拶は、頭を下げ、腰を曲げ、相手の視線から自己(我)を消すという究極の礼儀作法でもある。
そんな日本人が、目に見えるモノにしか幸福感を感じなくなってしまったのは、なんとも哀しいことである。寂しいことである。生きる為に必要な基本的なモノやお金があったなら、もうそれ以上のものは不要なはずである。
にもかかわらず、もっともっとと「外なる幸福感」を限りなく追いかける病気「もっともっと症候群」が、現代の日本人とこの国の迷妄や呪縛の元凶である。<幸福感は心で感じるもの>この当たり前のことを思い出し、一人一人がそれを生活の中でどう実践するかが、今の私たちには求められている。
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