2014年1月26日日曜日

原発講演のお知らせ


『鬼(原発)は外!』  
福島県双葉町元町長の<井戸川克隆さん>のお話会のお知らせです!     

双葉町は、事故を起こした福島第一原発の設置地域でした。3.11で街は空っぽになりました。そして、放射能被曝の恐怖が襲います。「町民を絶対に被曝させない!」と、首長では唯一町民を町ぐるみ避難させた正義の人でした。そして、町民と政府、東電との板挟みの立場にありながら、原発問題の核心を最も良く知る人の一人となりました。自らも原発事故の被災者として、見てきた、聞いて来た様々なことをお話いただきます。

【日 時】2月2日(日)午後1時~4時
【会 場】Vegecafe&Dining TOSCA
【参加費】1000円
【主 催】子どもピーポパーポの会/NPO法人市民環境研究所/Vegecafe&Dining TOSCA
【定 員】50名 
【申込み】お名前、お電話番号を明記の上、下記までお願いします。
TEL:075-721-7779
メール:tosca.kyoto@gmail.com


2014年1月15日水曜日

自分から始めたい格差社会の変革


 地球の資源が有限であることは誰もが知っている。その資源をどう公平に配分出来るかが、世界の格差をどう改善できるかの大きな課題である。

 特に、途上国の人々の格差は深刻だが、この格差を生み出している原因が、私たち先進国の社会構造の中に潜んでいる。この構造を変えることが、じつは、途上国の格差を改善するための大きな鍵にもなる。

 最近、世界の資産を誰がどう持っているかを示した「富のピラミッド」が広く知られるようになって来た。それによると、世界の総資産の85%は富裕層の20%が所有しており、さらに、わずか1%の超富豪が世界の全資産の45%以上を占有していることが分かった。

 なぜこんな社会になってしまったか?それは、富める人々が、その富の力によって社会を自分の都合のいいものに変え、さらに多くの富を手に入れ、儲けるためにさらに社会を都合のいいものへと作り変えているからだ。

 その結果、貧しい人々が働けば働くほど、その努力で得たささやかな富でさえ、1%の人々に搾取されてしまう。豊かな人々はより豊かに、貧しい人々はますます貧しくなって行く、それが現代社会の仕組みである。
 
 人間以外の生き物の世界には、こうした不公平は存在しない。一つの種が一方的に増え、他の種だけが滅びてしまうと言う事はあり得ない。草食動物の減少は、即、肉食動物の死に直結する。どの生物も互いに助け合い、自他一体の関係にあるのが自然界のバランスである。

 その意味では、この偏った人間社会の構造は、間違いなくやがて崩壊する。しかし、現時点では、まだその転換の兆しが見えて来ない。むしろ、その傾向はますます強く、より拡大するようにさえ見える。

 では、この不公平な仕組みを改革する事は可能なのだろうか?楽観的に言えば、答えは「イエス!」である。

 それは、我々一人一人がこの社会構造から外れることを実践することだ。つまり、豊かな人々が搾取する仕組みを、下から支え続けることを止めればいいだけの話である。そうすれば、自ずとこの社会構造も崩壊する。

 具体的な一つの方法は、少しでも多くの人が、都会から脱出する事だろう。都市から田舎に移り住み、田や畑を耕し、食糧の自給を心がけることだ。自分が使う水、電気、暖房等も自然エネルギーを利用し自給する。健康も他人任せにせずに自己管理を心がける。今の不公平な社会に頼らない自立した生き方を多くの人が実践すれば、やがて、この社会もきっと変わる時が来る。

 しかし、当然、すべての人が田舎に移り住むことは無理だろう。でも、都会に住んでいても、自分の考えを変えることくらいは出来るはずだ。まずは、この社会に抱く豊かさへの幻想を捨てることだ。社会への依存心を極力減らし、これまでの考え方、価値観、人生観を変えることに少しでも努力することである。

 年が明けて、そんな風に変わろうと試みている人々を取り上げる新聞記事を多く目にするようになった。社会とは、一人一人の集合体である。この不公平な社会も、我々自身がつくったものであると分かれば、その変革もまた我々にかかっていることが見えて来る。

 変わらなければならない日本と日本人。まずは、自分が変わることから始める一年でありたいと思う。 

2014年1月8日水曜日

日本の美に感じる本物の豊かさとは

 昨日、京都で庭師をやっていると人と出会い、いろいろ話をした。日頃感じている日本の美的感覚について共感するところがあり、とても楽しい時間だった。

 彼によると、京都の庭師は、他の地域の庭師の使ういわゆる剪定鋏は一切使わないのだそうだ。京都にただ一軒しかない庭師のために鋏を作る専門店があって、そこで作られた鋏だけを使うのだと言う。

 「なんだそのこだわりは!」と思ったが、その理由を聴いてなるほどと思った。その鋏は、すき鋏と言って、葉や枝をすくための鋏であり、切るために使う剪定鋏とは、その用途も目的も根本的に違うのだと言う。

 なるほど、すくと言う発想には、庭師の思い通りに草木を切る剪定とは違い、草や木本来の姿をそのままに残すと言うまったく異なる発想がある。それは、現代にありがちな見て見ての発想ではなく、むしろ、見えないものを見させ、感じさせるために少しだけそっと手を入れる、と言った日本人特有の繊細な美的感性がある。すき鋏はそのためのもの。素晴らしい庭師の美へのこだわりである。

 かつて、自分で家を造りたいと考えいろいろな建築の本を漁ったことがあった。その時、最も興味を持ったのは、いわゆる数寄屋造りの代表建築である茶室に表された様々な日本の美についてであった。その美しさにも、造園に通じる表現があちこちに見られた。

 例えば、茶室のにじり口。なぜあんな小さな入り口を造るのだろうと思ったが、じつは、あの狭い入り口を通るためには、当然、身体をすぼめ頭を下げて入らなければならない。入り口をくぐり抜け、身体を伸ばしたその瞬間に感じる身体と心の開放感にこそ、にじり口の目的があると知って驚いた。

 さらに、そのにじり口の正面には床の間があって、そこには、主人のこだわりの書や絵や生け花が置かれている。それらに描かれた世界が、にじり口を通り抜けた瞬間に心に飛び込んで来る。それが、身体の広がりと相まって、一瞬にして客人を非日常の世界へと誘う。そんな仕組みがあるのだと知った。

 庭師の彼が言う。「京都を本当に楽しもうと思ったら、京都の職人の世界を覗くことですよ。」「京都の職人の感性と技術が失われたら日本の文化おしまいですから」とは、必ずしも庭師である彼の手前味噌ではない。まさに、彼が言う通り、見えない世界を楽しむことにこそ日本文化の美の本質があり、日本人の感性がある。それが、世界の人々が認めるワビサビの文化でもある。それが失われたら、間違いなく日本には、本来の文化がなくなってしまう。

 海外からの最も多くの観光客が訪れると言われる京都。この京都の文化には、そうした日本人の美的感性がびっしりと詰まっている。京都とはそんな場所だ。そして、この京都の文化のそこここに見られるものこそ、日本人が忘れつつある見えないものへ気配り、心配りの「おもてなし」の心なのだ。

 今こそ日本は、日本人にとって本当に大切なものは何か?に気付かなければならない。一時の豊かさである経済やモノを手にすることばかりに狂奔する日本人が、その裏側で失いつつある大切な豊かさ、その勿体なさを改めて知った一日でもあった。





2014年1月1日水曜日

地球化の時代を楽しみたい

 新しい年が始まった。新聞が一斉にグローバル(地球)化の幕開けの記事を掲載している。ほんとにいよいよそんな時代に突入したなと感じる。

 「国際化」と「地球化」は、似ているようだが違う。国際化は、自分の思考や感性に、国際感覚を持ちましょう、それに触れましょう程度のことだが、地球化は、人間そのもの、生活そのもの、人生そのものを、地球人として感じ、考え、暮らし、そして、仕事や人生の中でそれらを具体的に実践し、行動して生きて行こう。と言ったより現実的で生々しいものだ。

 我々一人一人には、今後、好むと好まざるとに関らず、こうしたことがあらゆる状況の中で突きつけられて来る。生活の厳しさも、政治の混沌も、経済の格差も、世界の厳しい紛争の数々も、環境破壊による異常気象や地球規模の危機的状況も、じつは、すべてがこうした地球化へ向かって人間が変わらなければならない避けては通れない試練だ。そう思えれば、少しは元気も出て来る。

 日本が他の国には見られない文化を創造し、数百年にも渡って守ってこられたのは、まさしく閉じられた島国だったからだが、しかし、そんな日本には、他の国の人々や文化と交流する機会が少なかった言うマイナス面もあった。その日本を一変させたのは、明治維新による開国であり、世界初の被曝国と言う厳しい試練だった。この二つの試練で日本は世界に大きく開かれ、成長も発展もした。

 3年前の原発事故は未だに解決の糸口も見えないが、この大きな危機を、問題の本質から逃げずに向き合うことにこそ、これからの日本のグローバル化に向けての発展と成長がある。危機の意味はチャンス。破壊は創造のために有り、試練は成長のためにこそある。

 より多くの文化に触れたり交流することは努力の居ることだが、とてもエキサイティングなこと、嬉しいこと。原発事故は、島国日本がグローバル化に向けて開かれる三度目の開国でもある。そんな地球化の時代を前向きに存分に楽しむ、そんな一年でありたいと思う。