「国際化」と「地球化」は、似ているようだが違う。国際化は、自分の思考や感性に、国際感覚を持ちましょう、それに触れましょう程度のことだが、地球化は、人間そのもの、生活そのもの、人生そのものを、地球人として感じ、考え、暮らし、そして、仕事や人生の中でそれらを具体的に実践し、行動して生きて行こう。と言ったより現実的で生々しいものだ。
我々一人一人には、今後、好むと好まざるとに関らず、こうしたことがあらゆる状況の中で突きつけられて来る。生活の厳しさも、政治の混沌も、経済の格差も、世界の厳しい紛争の数々も、環境破壊による異常気象や地球規模の危機的状況も、じつは、すべてがこうした地球化へ向かって人間が変わらなければならない避けては通れない試練だ。そう思えれば、少しは元気も出て来る。
日本が他の国には見られない文化を創造し、数百年にも渡って守ってこられたのは、まさしく閉じられた島国だったからだが、しかし、そんな日本には、他の国の人々や文化と交流する機会が少なかった言うマイナス面もあった。その日本を一変させたのは、明治維新による開国であり、世界初の被曝国と言う厳しい試練だった。この二つの試練で日本は世界に大きく開かれ、成長も発展もした。
3年前の原発事故は未だに解決の糸口も見えないが、この大きな危機を、問題の本質から逃げずに向き合うことにこそ、これからの日本のグローバル化に向けての発展と成長がある。危機の意味はチャンス。破壊は創造のために有り、試練は成長のためにこそある。
より多くの文化に触れたり交流することは努力の居ることだが、とてもエキサイティングなこと、嬉しいこと。原発事故は、島国日本がグローバル化に向けて開かれる三度目の開国でもある。そんな地球化の時代を前向きに存分に楽しむ、そんな一年でありたいと思う。
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