2011年6月29日水曜日

変わらない当事者たちの言動にただただ唖然!

 昨日、東京電力の総会があった。今日は、さらに多くの電力会社の総会も開かれた。

 その様子をテレビで見ていて、あまりにも当事者が、事態の深刻さを少しも感じてなく、微塵も反省していないことに、ただただ唖然とさせられた。こんな人間のせいで被災している自分が情けなくさえ思えてしまった。

 株主も、ごく一部の人を除いて、利益を得ることしか頭にない拝金主義の亡者ばかり。この人たちは、人間としての持つべき理性や感性をまったく失っている。その醜い言葉のやりとりに、多少でも期待していた自分がこれまた情けなかった。

 停止中の原発を再稼動して欲しいと願いに行った海江田大臣の政治家の立場ばかりを考えた麩抜けた言動にも呆れた。それに応える町長のこれまた交付金にすがりつくあさましい態度も見ていられなかった。この国の政治家たちに、リーダーたちに、人間としての尊厳、プライドと言うものはまったくないのだろうか?

 「国が安全を保証します」「それなら安心です」という両者の会話。一体、誰がどんな根拠でまたまた原発は絶対に安全だなどと言い、責任を持てると言うのだろうか?すでに、福島でそんなことがまったく不可能であったことが白日のモトにさらけ出されたというのに・・・。こんな人たちの茶番にまた騙されたとしたら、我々国民も、もう立派に救いようのない馬鹿者である。この次は、いよいよ我々国民自身が問われる番だ。

 この事故で真っ先に生れ変わらなければならなかったのは、政治家、企業家、学者、そして報道人であった。その彼らが原因でこの悲劇がこれだけ拡大したのに。彼らの変わりようが必要で起きた事故でもあったはずなのに、これだけの悲惨な状況が目の前にあるにもかかわらず、まったく変わろうとしない、変われないのもまた彼らだったと言うのは、じつに哀しい。

 これまでも、そして、これからも、一つだけはっきりしているのは、いのちのことを第一に考えない人間は、どんな立場の人間であれ、まったく失格であると言うことだ。

 この災害は、日本人のいのちに対する考え方を転換させるために起きた災害だ。子どものいのち、若者のいのち、自分のいのち、日本人のいのちを何よりも優先して考えることができるようになれるかどうかが問われている。何よりも大切なこの気持ちだけは失わない人間でいようよと声を大にして呼びかけたい心境だ。宙八

2011年6月27日月曜日

体内被曝覚悟のトキが来た

 事故の当初、騒がれていた原発から拡散された放射線量の問題、多くの地域でモニタリングが始まり、その影響の大きさが次第に明らかになって来た。

 先日、小田原で「原発事故を考える会」が催された。隣村の友人と私、飯舘村の村おこしに関わった研究者の三人がパネリストとして呼ばれた。以前、小田原の茶畑でセシウムが検出されたことから開かれた会であった。

 放射能の問題ほど、受け取る側の間に大きな温度差があるものもない。目に見えないものが相手だけに、その人の考え方次第でどのようにも解釈できるからだ。

 お茶の葉に放射性物質がでたものの、原発から距離のある小田原では、当然、福島県民のようなピリピリとした雰囲気はない。どちらかと言えば、参加者の多くが、少し身に危険が迫ったので事態をよく知って置きたい。というような参加の仕方であったように思う。

 市長も参加してくれたこの会の参加者からは、事故の悲惨さが肌で感じられて良かったと言う感想を多くもらった。こちらも被災者としての実情を報告できてとても良かったと思う。

 体外被曝の問題である放射性物質の危険性は、どれだけ周辺に降り注いだかによる。線量が高ければ避けなければならないし、問題がなければ、パニックになる必要はない。

 しかし、体内被曝の問題はまったく別である。子どもを抱える若いお母さんが心配していたのは、これからも給食と摂り続けて良いのか、店で買う野菜や食品はどうしたら良いのか?と言うものであった。先日、いわきに戻った際に知人から聞いた話が、この体内被曝を避けることの難しさ、危なさを教えてくれた。

 「いわきでは、周辺の海で獲れたものを店で売っているのだろうか?」という私の問いに、知人は、「いわきで獲れた魚は売れないので、千葉県の港で荷降ろしをして千葉産として売っているらしい」という話を、当たり前の話だよねと苦笑しながら話してくれた。そもそも魚は、荷おろしをした港が産地になるそうだから、当然のことでもある。

 そんな決まりを知らない消費者が、千葉県産なら安心といわきの魚を食べる。これもまた、当然のことだ。これは、魚と言う一部の食品についての話だが、当然、人はただ一つの食べ物で済ますことはない。どの家にも、日々、何種類もの食べ物が食卓に上がる。外食の場合には、まったく店にお任せの食べ方になってしまう。

 野菜、果物、その他の食品の、栽培から流通、販売に至る広く複雑な目に見えないルートを考えると、例え、一部が検査で問題はないと公表されたところで、汚染された食品は絶対に消費者の口に入らないと誰が言えるだろうか?

 体外被曝は、地域が限定される。しかし、こと空気から、水から、そして、食物から摂り込まれてしまう体内被曝に関しては、地域はまったく限定されない。日本中が汚染地帯になる可能性があることを、十分に認識しておく必要がある。

 「フクシマ頑張れ!」の名のもと、福島県民を応援してくれるその気持ちはあり難いが、実害があるかも知れない汚染食品を、風評被害の名のもとで売ったり食べたりしてしまうのは、あまりにも危険だ。この危険な事態が、今後、日本全国のどこででもきっと起こるはずだ。

 体外被曝、体内被曝、いずれにしても、最早、日本に逃げられるところはどこにもないことがそろそろ分かって来た。もう覚悟を決めて、どうこの危険から赤ん坊を、子どもを、若者を、家族を守ることが出来るかを、自らの頭で判断し、サバイバルして行くしかない。

 世界のどの国よりも安全で平和だと言われて来た日本とその国民が、今はどの国よりも危険な国になってしまった。島国特有の平和ボケと言われる他人任せの呑気な国民性では、この危険な事態を生き抜いていけないことを、今こそ、誰もがしっかりと肝に銘じる時である。

 

 

 

2011年6月26日日曜日

変わらぬ風景が心の中から遠のいて行く・・・

 昨日、賠償問題の目的もあり、いわきの自宅へ四度目の帰宅をした。

 何度帰っても、30年間住み慣れた家の様子は、いつもとまったく変わらない。梅雨時の新緑が一杯の豊かな山の風景だった。

 異なるのは、異様な自分たちの姿。猛暑の中、長靴を履き、ビニールのカッパを頭からすっぽりとかぶり、ゴム手袋をはめ、マスクを二重に装着した放射能完全防護のスタイル。

 汗がカッパの中を滝のように流れる。原発事故の始末に追われる作業員のことがふと頭をよぎる。こんな格好で一体何が出来るんだろう?放射能の始末どころか、あっと言う間に熱中症で倒れてしまう。彼らは、なんと言う過酷な仕事をしてくれているんだろうと・・・。

 そして、そんな彼らを知りながら、今でも他人事の言動で明け暮れる企業家、政治家、学者たちのなんと多いことか、情けなさを通り越して哀しくなってしまう。彼らこそが真っ先に、瓦礫の撤去をやり、放射能の汚染地帯を歩くべきだ。そんな心が、ふっと湧き出る。

 線量の高い家への帰宅は、出来るだけ親だけで済ませたいが、長男は、なぜか絶対に行くと言う。もう大人だから駄目とも言えない。危険を知りながら、彼なりに何かを確かめたいことがあるのだろう。この家も、やがて、まったく戻れない場所になってしまうかも知れない。そんなことを想うと、同行させるのも断るのもどちらも辛い。

 いつものことながら、自宅周辺の放射線量を測定器で測る。かすかな期待に反して、最初の測定とほとんど変わらない線量の高さだ。いわきは、とっくに安全宣言を出しているが、この山奥は、まだ決して安全とは言えない。話題の飯舘村とほとんど変わらないくらいの高い値が出てしまう。全国どの地域でも、公表はされてはいないが、ホットスポットと言われる場所は沢山あるに違いない。まだ測っていないから分かっていないだけなのだ。

 哀しいのは、行くたびに、測るたびに、住み慣れたこの地が少しずつ、心の中から遠のいて行くことだ。見慣れた家が、庭が、風景が、思い出が・・・。この風景は何も変わらないはずなのに、なぜかだんだんと心の中から薄れて行くようだ。放射能で家を追われた誰もがきっと、そんな気持ちを感じているに違いない。

 原発事故は、地震や津波の災害とは大きく異なる。自然災害に復興は可能だが、放射能の汚染には復興の道は閉ざされる。一度完全に汚染されてしまった場所は、過去や現在は勿論のこと、未来さえも奪ってしまうのだ。この美しい日本のどこであっても、そんなことが起きてはいけない。

 嬉しかったのは、池に沢山のおたまじゃくしが居たことだ。ここ数年めっきり減っていたのにうじゃうじゃ居た。まもなく、主の居ないこの池では、あの懐かしいカエルの合唱が響き渡るに違いない。せめてもの嬉しいことだった。「放射能でカエルは元気になったのかもな!」哀しい冗談がまた一つふと口から出てしまった。

 青空のもと、新緑一杯の中で、全身をカッパですっぽいりと覆った息子が、子ども時代を懐かしむようにブランコに揺られている。その後姿がなんとも切なかった。

2011年6月21日火曜日

いのちの源流に触れて

 今年で4回目となる伊勢神宮のお膝元での半断食セミナーが無事終わりました。

 例年に比べたらほぼ半分の参加者、主催する私たちが避難中の身であり、大きな震災が起きたこんな時期ですから、当然のことでもありました。

 伊勢でセミナーをやることは、伊勢神宮がお米を祀る神様であることを知った以前からずっと興味のあることでした。それが、4年前に知人の縁からたまたま実現したのです。

 伊勢神宮への参拝者は年々増えていると言います。今年はその人数がさらに多くなっていると聞きました。やはり、いろいろなことが起きると、人は神様に祈りたくなるのかも知れません。

 世界の多くの神殿が、遺跡として存在するのと異なり、伊勢神宮は、2000年間一日も途切れることなくその神話(儀式)を今に伝え続けている稀有な神殿であると言います。

 かつて、アインシュタインが神宮を訪れ、「こんな素晴らしい宗教を持つ日本人は、きっとこれからの世界をリードして行くに違いない」と言ったといいます。果たして、我々日本人に、本当にそんな力が残されているのでしょうか?

 伊勢神宮の素晴らしさは、自然の中で生かされている人間が、環境に手を入れてもいいとされるあり方が、究極までに簡素な形で表されています。それが伊勢神宮の美しさです。自然の中であるべき人間の姿が、見事に表現されているのです。

 だからこそ、2000年と言う気の遠くなるほどのトキを、あらゆる災いや国難を乗り越えて存在し続けて来られたのでしょう。あの凛とした神殿と場のあり様は、揺ぎ無いいのちの源流の確かさを感じさせてくれます。

 日本の歴史始って以来とも言える大震災が起こり、まるで津波のようにざわめいていた心が、食を整えて身体を浄化し、伊勢神宮のいのちの深みの世界に触れたことで驚くほどに落ち着きました。海や森の自然に触れた時の安らぎとも違うこの感覚は、人が自ら創り出す文化の力と言ったものなのかも知れません。

 次の時代を担う子どもたちに、若者たちに、私たちは一体、どんな社会を引き継きたいと思っているのだろうか?今こそ誰もが真剣に考え、そんな社会に向かって行動しなければならない時だと、改めて教えてもらった様に思います。

2011年6月17日金曜日

講演お知らせ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 橋本宙八さん&橋本ちあきさん スペシャル1Dayセミナー

       『食で守ろう子どもたちの命』
     ~今、私たちにできる大切な7つのこと~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

<セミナーで扱う予定の内容>
  ・原発事故後、起きていることの真実
  ・子どもたちの命を守るために大切な食のお話
  ・低線量被爆から身を守るために必要な3つの手当方法
  ・これからの新しい生き方と価値観をどう変えていくか
  ・この時代にこそ必要な「子を生み育てる」ことの意味
  ・全てのお母さんに伝えたい子育てに大事な3つのこと
  ・この先の世界に大切な男女の在り方
  ・子どもたちの幸せで豊かな未来のつくり方 3つのステップ
  ・質疑応答 ほか

【内容】
日時 : 2011年7月2日(土) 10時半~16時

場所 : 東京都港区田町(田町駅から徒歩3分)
     ※詳細はお申し込みいただいた方へご案内します

講師 : 橋本 宙八・橋本ちあき

価格 : 大人  7,700円 (美味しいマクロビオティックお弁当付き)
      子ども 1,100円 (お席が必要なお子様 子ども用お弁当付き)

申込 : http://bit.ly/eaMn12

主催 : 「子どもたちの幸せで豊かな未来を応援する会」代表 平野みほこ

問合 : 平野みほこ mihoko-heart@dream.jp

【お子様とのご参加について】
  ・お子様連れ、大歓迎です。
  ・子どもたちが自由に遊べるスペースも作ります。
  ・お席が不要のお子様は、参加無料です。

※携帯電話から申し込む場合は下記のURLをクリックして
 申し込みをしてください。

携帯電話用 申し込みフォーム 
http://bit.ly/hlKbhe

2011年6月13日月曜日

いのちがけで考えなければならないこと

 私たちが忘れてならないのは、未だに、放射能が広く日本中の県や市や町に、山や畑に降り注いでいて、高濃度の汚染水も原発から海に流れ続けていると言うことです。この危険な状況は、原発の処理が済まない限り、数ヶ月、あるいはそれ以上まだまだ続きます。

 その危険度を知る手立てとなる放射能の計測が、ようやくあちこちで始まりました。そして、想像以上に広範囲に放射能が降り注いでいることが判明しています。

 これからの私たちに問われるのは、体外被曝の何倍もの影響力があると思われる体内被曝の問題です。汚染された水、野菜や魚、肉、食品からどう自分のいのちを、家族や子どもたちのいのちを守ることが出来るか?と言うことです。

 政府の発表は言うまでもなく、テレビや新聞、雑誌の報道は、安全を知るためには決して十分ではありません。一人一人が独自に、真剣に、今口にしようとするものが果たして本当に大丈夫かどうかを判断して行かなければなりません。

 各地で収穫された野菜の安全度も公表されていますが、これも、簡単には信じてはいけないことでしょう。なぜなら、検査はあくまで、ごく一部のものについての検査であって、すべての野菜が安全だという保証では決してないからです。

 私の家では、わずか数メートル離れた所でも、線量が高いところもあれば、低いところもありました。放射能は、風の向きや雨によって、容易に、高いところと低いところの違いが出てきます。極端なことを言えば、計った野菜は大丈夫でも、となりの野菜が危ないこともあり得るのです。

 多くの農家は、良心的だとは思いますが、心配される野菜であっても、政府の規制がなければ出荷してしまうでしょう。魚も、広い海を移動するすべての魚が安全かどうかを計ることは不可能です。店頭に並べられた魚が100パーセント安全がどうかを知る手だてはないのが実情です。

 自給のために野菜や果物を作っている人たちも沢山います。自らの手で育てた野菜や果物、多少心配であってもきっと食卓にのせてしまうでしょう。善意で家族や友人に送る人たちも一杯いるはずです。漁師さんも自分で獲って食べる魚の汚染度を気にはなっても食べない人はいないはずです。

 汚染された牧草を食べた牛のミルクや肉も大いに心配です。お母さんや学校がどれだけしっかり安全を保証できるでしょう。加工された食品がいたるところで販売され、日本全国の外食産業に多くの検査の網を潜り抜けた食品が出回ることはほぼ間違いありません。

 決して不安をあおりたくはありませんが、今後の体内被曝の心配を考えるとほとんど絶望的に思えるのが実態です。この深刻な状況をどうサバイバルして行くか?すべての国民が、本当にいのちがけで考えていかなければなりません。

2011年6月10日金曜日

素晴らしい提案

 震災のお陰で、沢山の素晴らしい人たちと縁が出来ている。そのお一人に、京都の嵐山に住む森孝之先生がいらっしゃる。素晴らしい自然環境の自宅を「エコトピア」と名付け、自然と調和したライフスタイルの大切さを多くの人に発信している。

 その先生が、先日、静岡に拠点のある小さな農業を提案する「花の村」の機関紙に書かれていた話がとても素敵だった。

 それは、今回の震災で大活躍の自衛隊についての話である。「自衛隊を国是で災害救援隊に生まれ変わせ、武器ではなく、医薬品や水などを背負い、被災者のもとにパラシュートで舞い降りてもらう。世界に天災が生じるたびに災害救援隊として出動して、実績と実力を積み重ね、世界からあてにされる国となり、日本を不可侵の対象にしてもらう。そうすれば、日本の若者はきっと大勢が自衛隊に入隊し、世界になくてはならない国をめざして心血を注ぐはずだ」というものである。

 これは、素晴らしい提案だと思った。自衛隊は、その理由が何であろうと、とにかく戦争を目的とした集団というマイナスイメージを持っている。これを、世界を災害から救うプラスイメージの集団に変身させる!と言うものである。

 今回の災害を機に、もし、日本の自衛隊をそんな集団に生れ変わらせることが出来たら、どんなに素晴らしいことだろう。原発事故の汚名を返上し、どんな国からも尊敬される国になるかも知れない。震災処理、政局だけに夢中な、点数が下がりっぱなしの政治家に、この高邁な提案をぜひ実現してもらいたいものである。