いわきの山の中に住んでいた頃、東京などに行った帰り、山の家に近づくに連れて身体がミリミリと音を立てて元気になったのを記憶している。
そんな30年来の田舎暮らしから京都に移り住み間もなく3年。ここにはじつに様々な人が居て、いつでも日本の優れた文化を楽しむことが出来る。そんな環境は決して悪くはないが、この頃、身体と心が、どこか軸を失いつつあることを感じる。
自然というものは、日頃は限りなく私たちの身体と心に優しい。だが、ひとたびその均衡が破れると、人間の感覚などはるかに超えたスケールで私たちを脅かす存在となる。竜巻や洪水、異常気温、これまでになく、自然の脅威を感じている人が多くなっているに違いない。
台風18号の余波で起きた京都の洪水は、普段なら絶対に起こりえない穏やかな観光地に起きた事だけに、自然の脅威を多くの人がまざまざと感じたことであった。
直後の現地を見た。普段ならあるはずもない驚くほど高い位置にまで泥水が上がった事が一目で分かる。白く乾いた泥の線がどこまでも続いている。この周りに住む人々が、どんなに恐ろしかっただろうかと想像された。
そんな爪痕がまだある一方、河の水はまだ濁っているが、その流れは、早くも、まるで何事もなかったかのように穏やかに流れている。草や鳥たちも、そんな回復を手助けするかのように、日頃のそれと変わらない様子でそこにいた。
方丈記で謳われた鴨長明の有名な詩に、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」とある。
様々な出来事でバタバタするのは、人の身体と心だが、どんな出来事に遭遇しても、本来の自然を知り、しっかりとそれが身についてさえいれば、それがブレルことはない。改めて、身体や心のよって立つところが、自然にあることを知った。宙八
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