2011年1月18日火曜日

ハイチの少年に教えられたこと

昨年、地震で大きな被害を受けたハイチは、その後、コレラの感染等の拡大で復興作業が進んでいないで悲惨な状況が続いている。先日、そのハイチのストリートチルドレンの様子を知らせるBS番組を見た。
彼らの多くが親を亡くしたり、親の暴力から非難するために止む無く家を失った子どもたちで、他の貧しい国の子どもたち同様、一日に一回の食事にさえありつけない、想像を絶する厳しい生き方を強いられている。その中の一少年の様子を撮影した番組だった。
家のない彼には、いつも一緒に居る同年代の少年と弟のような年下の少年が居た。すべてを分け合い必死に生きている三人。ある時、年長の二人が裸同然の年下の少年を見て、即座に、自分が着ていたシャツとパンツさえも脱いであげてしまう。当たり前のようにそんなことをする彼らに驚かされたが、さらに、その少年がインタビューに答えて言った一言が忘れられない。
それは、復興の遅れから政府への不満が爆発し、「ハイチに民主主義を!」と訴えデモする大人たちが、自らの持てるものは他人に与えない。そんな事実に矛盾を感じた少年の一言「民主主義って分け合うことだと思う!」だった。親も居ない、家もない、学校にも行っていない少年が、人類の誰もが願う社会のあり方を、一言で「分け合うことだと思う」と言い放ったのだった。
この言葉を聴きながら、食べ物はもとより、有り余るほどのモノを持ち、「さらに多くを奪い取って人に打ち勝つ人生を!」と教育を受けている日本人の何人が、私も含めて、このハイチの少年の一言が理解できるだろうか?頭をゴツンとなぐられた。「政治とは何か?」「教育とは?」「社会の豊かさとは?」「人間とは?」そのあるべき姿を、真理を、一握りの食さえ手に入らず、生きて行くことだけで精一杯のハイチの少年から教えられた。

2010年7月5日月曜日



<グミの味>おととし庭に植えたグミが今年も鈴なりの実をつけた。少し渋みがあって甘酸っぱい、懐かしい味だ。子どもの頃に食べた貴重なおやつの中の一つである。世の中全般が貧しかった頃、子どもが口に出来るおやつと言えば、自然の中にある木の実や草の実だった。
小生が食べたのは、家の周辺になっていたグミとかグスペリ。ただ酸っぱいだけのイタドリの茎なんかもいつもかじっていたのを思い出す。そんな懐かしさがあって、普通の人にはさほど面白くもないグミの木だが、独特のこだわりがあった。近くに生えているだけで、どこか嬉しくなってしまうのだ。
作り物のお菓子ばかりを食べていると体や心は自ずから自然から遠ざかる。自然の中で生まれ育った年寄りが、身体にも心にも自然を持っているのは当前のことだろう。こんなに豊かなグミだけど、渋みが口に残る味は、きっと今の子どもたちには見向きもされないに違いない。

2010年2月28日日曜日

ねずみを捕らない猫の話


我が家には猫が5匹いる。メスが二匹、オスが三匹、みんな可愛い我が家の猫たちである。
ただ、この5匹は、普通の猫たちのように、家の中では飼っていない。

全員が、家の外で生きている。餌はもちろんあげてはいるが、あるものは母屋の縁の下で、あるものはセミナーハウスの縁の下で、また物置の中や縁の下で、それぞれが勝手に住んで生きている。いわば、半野良猫状態の猫たちである。

彼らは、とても良く狩をする。ネズミは元より、もぐら、トカゲ、ヘビ、その他の虫、小鳥、ハト、時には、ウサギや子狐だって捕ることがある。ただ、それは、冬以外の話である。冬、この地では雪が降るので、外での狩は限られている。ま、彼らに聞いて見なければ分からないが、あってもたまにと言うことだろう。

その分、家で食べる餌の量が一段と増える。五匹の猫が居ると、結構なものである。中には、餌場から一ときも離れない過食気味の奴さえ居る。こいつは、一年ほど家を出て山の中で生きていた。久々に戻ってからは、餌場をひと時も離れようとしない。よほど野生の暮らしが厳しかったのだろう。ひもじさの恐怖が彼のトラウマになってしまっている。

これだけ猫が居るのだから、我が家にネズミが居るはずはないのだが、冬の間はこれが結構居るのである。夜寝静まると屋根裏や壁を這う音がするのだ。そんな時には、「おい猫どもよ、ネズミを捕るのはお前たちの仕事だろ!」と従業員を叱る社長よろしく怒ったりもするのだが、一向に効き目がない。

よく考えれば、当たり前である。狩などしなくても、毎日、充分な餌が黙って出てくるのだから、わざわざ苦労してネズミなど捕るはずがない。飽食は、動物の本能さえも曇らせてしまうようだ。卵を産まなくなった鶏も断食させるとまた産みだすと言うから、腹を減らせば本能は蘇るということだ。

人間も同じである。豊かすぎる日本人が、経済でも政治でも、スポーツでも文化面でも、今一歩、本来の日本人らしくなくなって来ているのは、食べ物があまりにもあり過ぎるからだろう。ネズミを捕らない猫たちから教えられたことである。

2010年2月25日木曜日

母が94歳になりました


母が今日で94歳になった。

十年ほど前に認知症を発症してから自宅で一緒に住むことが困難になり、市内の老人保健施設でお世話になっている。一緒に暮らしてあげられない申し訳なさがいつも心から離れない。不肖の息子である。

施設では、家族以上に親切に何から何まで面倒を見てもらえるので本当に有り難い。介護をしてくれるスタッフには心から感謝の日々である。母は、元来とても丈夫な方だったが、4年ほど前に転倒して足を痛めてからは車椅子の生活が続いている。

ここ数年、一年ごと、いや、半年ごとに食欲も、言葉も少なくなりつつあるが、それでもまだまだ元気である。生きようと言ういのちの意思をしっかりと持っている。粗食と苦労で培った子供時代の生命力のなせる技なのだろう。

親の寿命は、子として、人生の一つの目標でもある。53歳で亡くなった父親の歳をはるかに超えた94歳の母。よくぞここまで生きてくれました。心から「ありがとう!」を言いたい。

健康は、ある程度の心がけがあれば出来ることだと言う気がする。しかし、長寿は、それだけでは叶わないもののような気がする。生まれつきその人間に与えられたもの、そして、人生をどう生きたかの総合的な力の結果であり、それを知った神様からのご褒美でもある。

それにしても、人生90年の長きに渡り生きると言うことは、すごいことである。オリンピックで言えばメダリストだ。90歳は、銅メダル。95歳は、銀メダル。100歳は人生の金メダルである。そこから言えば、85歳は入賞。80歳は、オリンピックの参加資格。70代は国内予選。60代は、まだまだ地方予選みたいなものである。

ようやく地方予選の参加資格を得たばかりの自分。銀メダル真近の母の、人生を生ききる力強さを今の内にしっかりと感じて置きたいものだと、ふと思った母の嬉しい誕生日である。

インド回想記(6)インドの先住民デリッー


 インドの最下層の人々のことをハリジャンと呼ぶ。この人々は、アンタッチャブル(不可触賤民)と言われ、触れたら寺でお清めを受けろと言われたほど忌み嫌われて来た人々である。

 インドには、この最下層に位置する人々が2億4千万人いるそうである。その人々を様々な分野で支援している<レッズ>と言う団体を訪ねた。

 リーダー夫妻は、そのカースト出身であった。彼の言葉によると、ハリジャンとは、<神の子>と言う意味で、インド解放の父ガンディーによって名づけられたと言う。

 その理由は、このカーストに属する人々は、かつて、牛馬同様の扱いを受けており、娘たちは寺に集められ、人々の慰み者となっていた。そこで、親の分からない子供が沢山産まれた。

ガンディーが、英国の占領からインドを解放した時、この子たちをどのように扱えば良いのか悩み、寺で生まれたこどもだから<神の子>としたそうである。

しかし、歴史学者の論からもインドの先住民であると認められている彼らにとって、この名は、侮辱以外の何物でもなかった。インド人にあまねく尊敬されているガンディーも、この人々の間でだけは、口にしたくない名前だそうである。

 自分たちこそが先住民であると誇りを持つリーダーは、彼らの精神性や文化に関する沢山の本を書いていた。とても興味深い内容だったので二冊ほど買った。

 普通のインド人の額の印はオレンジ色だが、彼らは藍色を塗る。それは、彼らの祖先が藍染に携わっていたことから来ているらしいが、同時に、それは海の青であり、宇宙の青でもあるとリーダーは胸を張って言った。そして、今では、市民権を得つつある彼らの誇り高いシンボルカラーでもある。他のカーストの若者たちの間ではファッションになりつつあるとも聞き、変わりつつあるインドのカースト制度の実態を知った。

2010年2月19日金曜日

オリンピック選手に思うこと

冬季オリンピックがたけなわ、どんなスポーツでもアートでも、一流はじつに面白い。
特に国内のそれとは違って、世界の中で日本人のセンスや力量がいろいろな角度で見えてくる。比べることで国民性の違いもよく分かる。

素晴らしい能力を持っている選手が一杯居るが、特に、金銀銅のメダルに届く選手と言うのは、どこかが違う。いわゆる、オーラが演技にも人格にも漂っている。体力面は元より、メンタル面の強さが違う。世界のトップ選手の技術はどんなスポーツも僅差である。勝負の分かれ目は、結局、精神力の強さにあるようだ。

その意味では、体力面でも精神面でも今一つ頼り無い日本選手にいつも無念な思いを抱く。なんてことを言うこと自体がもう時代遅れの感性なのかも知れないが、それでもやっぱり我々の次代を担う日本の若者たちの体力や精神レベルは気になる。

顔を見れば、その選手の身体の状態がよく分かるが、日本選手の多くが腹に力がない。いわゆる胃や腸が緩んでいる。呼吸も浅い。顔もむくんでいるのが多い。これではモチベーションが上がるはずがない。多分、甘いものや果物、清涼飲料水やアルコールの摂りすぎが原因だろうが、あの緊張の無い身体の状態では、絶対に、これっと言った勝負の時には勝てるはずがない。いい食べ方をしてくれたらいいのになあ、とつい思ってしまう。

肉体的にも精神的にも、世界に勝つコンディションを作るためには、食のコントロールと知恵が絶対に必要だ。日本のオリンピック選手にぜひ伝えたいことである。

2010年2月16日火曜日

閑話休題


 この写真は、私の書斎の窓から見た我が家の森の風景である。ここ数日、めずらしく雪が多い。しかし、じつは、ここ数年来この地でもめっきり雪が少なくなっている。

 温暖化の影響だろうが、正直なところ、雪のない山暮らしはぐっと楽である。新潟の豪雪地帯に生まれ、北海道で育ち、田舎暮らしを考えた時に真っ先に頭にあったことは、雪は多少降ってもいいが、生活が困るほどに降らない所に住む!が、この地を選んだ理由の一つでもあった。

 かつて、友人が、「自然」に注文をつけてはいけない!と言ったが、その通り。天気だ、雨だ、風だ雪だと騒いでもいいが、どうなって欲しいなどと決して注文をつけてはいけない。自然は私たちの親であり、私たちが自然を創った訳ではなく、私たちは、自然から産んでくれた生き物の一つに過ぎないからだ。

 雪が降らなきゃ、その年の米は不作だと言われている。水仙の花に喜ぶ春の待ち遠しい気持ちも薄れる。雨が降らなきゃ、作物も我々も生きては行けない。傘屋も儲からない。風が吹かなきゃ暑くて仕方がないし、風車の発電もままならない。洗濯ものだって乾き憎い。

 嫌だと思った時に、もしこの自然がなかったなら、と考えれば、たちどころに、今ある自然のままでいいと思える。人間にとって自然は、ただそのあり様をそのままに受け取ることだけが許されているものなのだ。

 雨の時は雨を楽しみ、雪の時は雪を楽しむ、暑さもいいし、風もいい。雷だって有り難い。この地に30年住んで、ようやくそんな自然のあり様を、日々、そのままに楽しめる気持ちになって来た。「雨にも負けず風にも負けず・・・」の宮沢賢治の詩は、もしかしたら、そんな人間の気持ちを謳ったものなのかも知れない。雪がこんなに美しいものなのかと改めて思うこの冬である。