2015年2月4日水曜日

「心を養うための食事を」


 世界の多くの国々が今、戦争やテロ、殺人、家庭内や親子の間にも広がる暴力の悲劇的な状況にあるのは、グローバルな地球に向かう潮流の中で、いのちの安全を無視した劣悪な食、美食、飽食、偏食によっていのちが侵され、異常な身体となった人間が狂った心を生み出しているからでもある。
 私が40年間、十数カ国8500人が体験した「食による心身改善法のセミナー」を続けて来られたのは、人間の身体が食で大きく変わると言う事にとても興味があったからだ。と同時に、それ以上に、心までもが変わると言う事実を数えきれないほど体験し、その大きな喜びを誰よりも感じていたからでもある。
 人間は食べものを食べ生きている。食が変われば血液が変わり身体が変わるのは当然だが、心までもが変わると言う事実に多くの人が気付いていない。それは、現実にそれぞれのいのちの中で起きているにも関らず、そうしたことに大半の人が無関心だからだ。
 化学物質を大量に摂取することは言うまでもなく、動物性食品の摂り過ぎは心を荒々しくし、アルコールや清涼飲料水、果物や生野菜、白砂糖の食べ過ぎは、しばしば心を落ち込ませる。ファーストフードやジャンクフードは不安定な心を生む。アメリカの刑務所での実験によると、穀物と野菜を中心にした食事によって、犯罪者の復帰後の再犯率までもが減少すると伝えられている。
 人は、良質な食事と正しい食べ方で血液がきれいになり体質が改善すると、驚くほど穏やかできれいな心に変わる。「肉体は魂の胎盤である」とは、身体は、健全な魂(心)を育てるための土壌なのだと言った意味でもある。  
 かけがえの無い毎日を元気な身体で過ごすことは大切だが、人生とは、魂や心の成長のための貴重な道のりでもある。「心を養うための食事」ぜひ多くの人に気付いて欲しいものである。

2015年1月3日土曜日

偉大な活動に心から敬意を

 12月28日、アメリカで長年活躍されたマクロビオティックのリーダー久司道夫先生(88歳)が亡くなられた。昨年の7月、帰国された際にお会いしたのが最後だった。
 一年ぶりのその時は、めずらしく杖をつかれ幾分痩せていたようにも見えた。年齢のこともあり少々お疲れかと思ったが、講義ではいつもと変わらない様子だったので、まさかその時が最後になるとは思ってもいなかった。
「人生は儚き夢」とは、先生の生前の言葉だったが、こうして現実に逝かれてしまうと、本当に人生とは儚き夢の一時であることを痛感する。日頃から人智を超えた内容のお話をされていたので余計に亡くなられた実感が薄く、今でも不思議な感覚である。
 先生とは40年前、私がマクロビオティックを知って間もなくお会いする機会があった。27年前にはアメリカのカンファレンスに招待していただき、ボストンのお宅を訪ねした時の思い出が懐かしい。マクロビオティック運動の将来について熱く語られ、「ブルトーザーのような同志が欲しい!」と若かった私を大いに鼓舞してくれた。
 以来、15年前に創立された美容専門学校AOB(アーツオブビューティー)のマクロビオティックのプログラムに講師として誘っていただき、11年間お世話になった。その後は、KIJ(クシ研究所)の授業やカンファレンスでも一緒に仕事をさせていただき、直接、多くのことを学ばせていただいた。そんな幸運に恵まれたことに心から感謝している。
 「マクロビオティックのスタンダード(標準となる教科書)を創りたいんだ」とおっしゃっていた先生は、文字通り、歴史に残る素晴らしい教科書を沢山創られた。食の活動家であり思想家であり哲学者でもあったが、世界に多くの弟子を育てた素晴らしい教育者でもあった。「教育は忍耐だよ」とおっしゃっていた言葉が忘れられない。その通り、どんな簡単なことにもじつに辛抱強く生徒に向き合っておられたことを思い出す。
 マクロビオティックの創始者の桜沢如一先生が亡き後、その意志を受け継ぎ、食物による健康法を世界に広め、多くの人の生命を変え、救い、社会を変えることに献身的な努力をされた。「世界平和実現のためには、人間の生理そのものを変えなければならない」というマクロビオティックの核心を、世界で実際に実行された方だった。
 晩年「肉体は滅びても心は次代の人々の中で生き続ける」「人間は永遠に死なないんだよ」ともおっしゃって居た先生の魂は、まさに、残された多くの弟子達の心の中に宿り、教科書で読まれ、これからも末永く世界に貢献して生き続けて行くことだろう。人生のすべてを賭けた食の改革活動に心から敬意を表し、衷心からご冥福をお祈りしたい。宙八

 





2014年9月24日水曜日

母から学んだ人生の終わり方

 私事ですが、母が逝きました。100歳まであと一歩、数えで99歳と半年あまりの天寿を全うしての終わり方でした。82歳で認知症を発症、止むなく、地元の介護施設で十数年お世話になったお陰での長寿だったと思います。
 少し前まで元気で食べていた母でしたが、ここ一二年は嚥下能力が落ちてゼリー状の食事となっていました。それもここ数ヶ月は次第に食べる量が少なくなり、死ぬ直前の40日間はまったく食べ物を寄せ付けず、水分補給のための点滴だけとなっていました。逝くのも時間の問題と覚悟をしていましたが、亡くなる当日は、介護の人に昼にお風呂に入れてもらい、その夜に誰にも気付かれず眠るように亡くなったと言う見事な終わり方でした。
 いのちの終わり方は、人が誕生してから食べ物を食べることで次第に成長して行くのとは反対に、食が細くなることで過去に蓄えた肉体を少しずつ消費しながら、やがてそれらを使い終わり、食べなくなって枯れるように死んで行くと言うのが本来の死に方であることを、母の逝き方から改めて学んだように思います。自分の理想とする死に方の見本を見せてくれた母でした。 
 よく世間では「ピンピンコロリ」が理想の死に方と言われているようですが、さっきまで元気でいきなりコロリと死ぬなどと言う事は、健康な人間にとっては本来、ない死に方だと言うことも分かりました。こういう死に方は、心筋梗塞や狭心症、脳梗塞等のいわゆる病気から来る突然死であって、これで死ぬには、こうした病因をつくる努力が必要であることもまた学んだ気がします。
 

危機をチャンスに変えた町


 皆さんの中には、四国の山中でお年寄りが料理に使う木の葉を売って生計を立てている町があるという話を聞いたことがある人が居るのではないでしょうか?この町は、全国で課題となっている地域の過疎化、高齢化を解決するモデルケースとして、今でも様々な分野から注目されています。
 その町とは、徳島県の山中にある上勝町。徳島駅から車で40分ほどの山間地にある人口2000人ほどの町ですが、高齢化率はなんと50%。そんな町にたまたま縁あってここの町おこしに関る人から、私がやって来た食による健康法を町おこしの新しい事業として検討したいと言う話が飛び込んで来て、先日、現地に行って参りました。
 この町では、20年前に、過疎化、高齢化する町民対策として、年配者でも仕事が可能な、町内に山ほどある木の葉を収集して日本料理の飾りとして売るという新しいビジネスを発案し立ち上げました。
 それが見事に当たって、やがてこの町の主要産業ともなり、その斬新なアイデアがニュースとなって、新聞、雑誌、テレビ、映画にまで取り上げられ、今では全国から自治体、大学等の様々な分野の専門家や研究者までもが、頻繁に視察に訪れるようになっています。
 この町のもう一つの素晴らしい事業は「ゴミゼロ宣言」。つまり、町の中からゴミを限りなくゼロにしようという活動です。勿論、ゴミの分別の重要性は誰もが知っていますが、この町の驚くほど徹底した分別の様子を見て、ゴミに対する私の考え方がガラリと変わり、まさに目からウロコの体験でした。
 この町には、ゴミの収集車が一台もありません。町内で出るゴミはすべて、町民自身が収集場に運びます。運ぶことの出来ない人は、周囲の人が助ける仕組みになっています。そして、そのゴミを収集場で町民自身が36種類もに分別するのです。
 その見事なまでの分別作業には、本当にびっくりしました。割り箸一つでさえ、竹製か木製かまでしっかり区別し分けるのです。ここまで徹底して分別されると、ゴミは、分けた瞬間からゴミではまったくなくなります。じつに立派なリサイクル資源として、たちまち貴重な町の財産となるのです。
 タンスや机などの大きな家具からコルクの栓一つに至るまで、すべてのゴミが、この収集場に運びこまれて立派なリサイクル製品として生まれ変わっています。そして、それらは、誰もがいつでも必要であれば勝手に持って行っても良いことになっているのです。
 ただし、この持ち込みや持ち出しのやりとりは、その度全員がノートにしっかりと記帳します。ゴミの収支がどうなっているかを役所でしっかりと記録するためです。
 普通ならとっくに捨てるわずか5センチほどの鉛筆でさえも、ここでは捨てることなく棚に並べられていました。紙や鉄、プラスチック類の素材は、溜まると業者が引き取りに来るのだそうです。
 「くるくる」と名付けられたこの収集場は、どう見ても私たちが知るゴミの収集場などではなく、ありとあらゆる日用品が揃ったじつに素敵なリサイクルショップそのものでした。それも、すべてが無料のショプなのです。
 この町を全国に知れ渡るようにした「いろどり」と呼ばれる木の葉ビジネスでは、年収1000万円を稼ぎ出すお年寄りが居るそうで、他の地域では見られないほどお年寄りたちがイキイキと生活しています。また、このゴミゼロ宣言は、危機こそチャンス、やればできると言うことを全国に知らしめています。
 ここでではさらに、豊富な木材を使った自然エネルギーの自給や大自然を利用したカヤックなどのスポーツ観光から、シェアカフェのような若者たちがこの地に住みたいと思うような斬新なアイデアが一杯でした。
 ただただ環境を破壊してモノを作っては消費し、ゴミにしている現代社会の深刻な問題も、自治体の提案と国民一人一人の頭の切り替えとわずかな実行力で、見事に改革ができるのだと言う事を実感しました。
 今後、私がこの町とどう関るようになるかは分かりませんが、もし、町民の一人一人が食で健康を自己管理できるようになって「医療費ゼロ宣言」と言うどの地域でも未だなし得ていない危機的課題に取り組む町になったとしたら、それこそ、この町は、世界を変える町になるかも知れません。そんな可能性さえ感じさせてくれる町でした。
 もし、こんな田舎町の取り組みが、全国の過疎地のあちこちで始まったら、誰もが、危機こそまさにチャンスだと言う希望を持つに違いありません。先見の明と勇気ある挑戦、確かな実行力の上勝町に心から拍手を送りたいと思います。そして、ぜひこの町の試みが全国に広がってくれたらいいなと思いました。
※上勝町のホームページをご覧下さい。www.kamikatsu.jp/
 

2014年7月30日水曜日

崩壊が止まらない人間のいのち

 世間で言う優秀な16歳の女の子が、15歳の同級生を殺して、頭や手首を切断した。動機は「人を殺して見たかった。遺体をバラバラにすることに関心があった」このニュースが今、全国の子を持つ親、教育者を震撼させている。
 1997年に、少年が小学生を殺して、その首を校門前に置いたことで全国を驚愕させた「酒鬼薔薇事件」を思い出させる事件である。
 最近は、こうした猟奇事件が後を絶たないせいか、17年前の事件の方が、はるかに世間を驚かせたような記憶がある。こうした事件が次々と続くことで自分も世間も慣れてしまっていることに、改めて怖さを感じる。
 心理学の専門家は、「少女は、人格の中に精神病質的な部分を長期間にわたって抱えていたのではないか?亡くなった母親が、社会との接点をつなぎ止めておく唯一の存在だったが、その死によって、少女の中に潜んでいた人格障害を一気に悪化させた可能性がある。母親の死後、すぐに再婚した父親も大きな原因となった。」等の分析を発表している。
 たしかに、そうした心がこの事件を起こしたことは間違いないことだと思う。がしかし、母親が死んだ、父親が再婚した。などと言った出来事は、今の時代に始まったことではない。長い人間の歴史の中で、どの時代にもどの社会にもいくらでもあった。にもかかわらず、これほどまでの事件にはならずに済んでいた。
 16歳の少女。本来なら、どんな大人よりもはるかに人間としての優しさ、感性の豊かさを持っているはずの歳である。そんな少女が、完全に人間としての感性を崩壊させてしまった。自分どころか母親の、また父親の、人間そのものが分からなくなってしまったのだ。人間が生き物なのかモノなのかさえ・・・・。
 それは、まるで子どもが、オモチャの動きの秘密を知りたくて、プラスチックのオモチャをばらすようにして起きた事件でもある。もしかしたら、この友人の身体をバラバラにしたら、失った母親の愛や自分を捨てた父親の憎しみ、または、自分を慕ってくれた少女の心の破片がどこかに見つかるかも知れないと思ったのかも知れない。そんな心を宿す仕組みが身体のどこかに発見できるかも知れないと思ったのかも知れない。そんな押さえ難い好奇心が暴走して、とうとう友人を殺してしまったのではないだろうか。
 今、世界のあちこちで戦争が起こり人が殺し合っている。テロリズムでも数々の猟奇事件でも、我が国の多くの人もそれに同調し、戦争への道を開こうとしている。世界中で起きている環境破壊、生物の種の絶滅、原発事故、どれもが、人間が人間としての感性を崩壊させてしまったところから起きている出来事だ。そして、これらの出来事は、間違いなく、今回の事件を起こした日本の一少女のいのちともシンクロ(共振)している。世界の至るところで、人間のいのちの崩壊が止まらなくなってしまっている。
  

2014年7月11日金曜日

ミツバチ減少で知る自然の危機的状況

 先日、友人の縁で、京都市の郊外で養蜂を営む家を訪ねる機会があった。そこでは、年に二回ほど交流会が開かれていて、屋外で食事を楽しんだり、夜には蛍を鑑賞したりして、互いに交流を深めあう、そんな会だった。様々な分野の人たちの集まりで、とても楽しい一時でもあった。

 そんな養蜂家の口から、ここ数年はミツバチの数が極端に少なくなったと聞いた。そのために、もう自分のところだけでは十分なハチミツが採れないので、いろいろな人たちに養蜂箱を委託して、蜜を集めてもらっているそうだ。

 ミツバチは、例年に比べて半減以下になったそうである。世界的にもミツバチが減少していることは、ネットやメディアで知ってはいたが、当事者の話は想像以上に深刻な状況を実感させてくれた。

 原因は、田んぼや畑の農薬の散布によるものだと言う。農薬の散布でミツバチが死んだ事実が、ミツバチの死骸から検出された農薬で分かったそうである。携帯用の電波塔からの電磁波の問題も取りざたされてもいる。他にもまだまだ多くの原因が潜んでいるかも知れない。

 いずれにしても、ミツバチは、植物にとっていのちをつなぐ重要な受粉や交配の役割を果たしている。ミツバチが居ることで植物は花を咲かせることが出来、野菜や果物も実をつけることが可能となる。ミツバチの消滅はそのまま自然環境の仕組みの破壊、食糧生産への危機的問題へとつながる。

 生命にとってかけがえの無い自然環境は、あらゆる昆虫、動物が一体となって創造し、織りなす世界である。その一員であるミツバチが減少するだけで、植物の世界は二度と回復が出来ないほどに破壊されてしまう可能性があるのだ。

 ミツバチが働いてくれているお陰で、私たち人間は畑で野菜や果物を栽培することができる。もしミツバチが居なくなったら、自然界は?食糧の問題は、一体どうなってしまうのか?考えただけでも恐ろしいことである。

 農薬の使用は、農業に携わる人たちへ大きな健康被害をもたらす。そして、ミツバチを殺した結果、そのつけは間違いなく私たち人間の世界にも回って来る。自然界は、あらゆる生物が一心同体となって織りなすたった一つの世界なのだ。

 そんな自然をことごとく破壊し続けながら、人間だけは栄えることが出来ると言うことはあり得ない。そんな妄想はもう止めなければならない。かけがえのない自然環境が、想像以上に待った無しの状況にあることを改めて教えてもらった、貴重な集いでもあった。


2014年6月13日金曜日

「戦争への道はダメ!絶対にダメ!」


 子どもの頃見たテレビドラマに「人間の条件」がある。毎週、戦争に向き合う主人公に自分の身を置いて、自分ならどんな決断と行動をするのだろうか?と、身震いし乍ら見ていた記憶がある。
 戦争の悲惨さを身をもって知る人間で、戦争をやりたいなどと思う人は居るはずがない。いや、そんな戦争体験者でなくても、ごく普通の想像力を持つ人間であれば、どんな理由があろうとも、戦争は絶対にやっては行けないことであることくらいは、当たり前に分かっているはずである。
 しかし、我が国では今、そんな、あって当たり前の想像力ですら多くの国民が失いつつあるように思える。他でもない国政の最高責任者である首相自らが、政権を担う政治家たちの先頭に立って、向かっては行けない戦争への道をやっきになってこじ開けようとしている。まったく信じられないことである。
 そんな彼らは、口先で言うこととはまったく反対に、エゴ丸出しの政治的野望と自己の利益だけで動いている。誰にも透けて見えていることだ。どんな立場の人間よりもリアリティを持たなければならないはずの政治家が、戦争に加担することのリアリティの無い言動を繰り返し、誤った道へ国民を誘導しようとしている。余りにも危険なことである。
 もし、百歩譲って彼らの主張を聞けと言うのであれば、彼ら自身がまず真っ先に、戦争の前線に立つ覚悟を持っているかどうかを聞きたい。そして、その前線の場に、他人の子や孫ではなく、自分の子や孫を立たせる覚悟を持っているかどうかも聞きたい。それをまず確約すべきだ。それが最低の条件である。
 その覚悟が無いのなら、戦争へ加担するような無謀な政策や言動は厳に慎むべきである。「国民の安全と平和を守るのが政治家の役割だ」などと心にもない言葉を吐くべきではない。
 戦争は、敵味方の関係なく、すべての人の人生、生命と生活と文化のすべてを破壊、消滅させる道である。戦争に勝利者は居ない。言うまでもないことだ。 そして、今こそ政治家は、本来の仕事の原点に立ち戻り、平和を築くための外交によって、戦争を阻止することにこそ命を賭けて努力すべきである。
 戦争は、どんな理由があろうとも絶対にしては行けないことだ。自己主張をしないことで知られる私たち日本人は、勇気を持って今こそ「戦争はダメ!絶対にダメ!」と声を上げる必要がある。当たり前の心を持った大人が、当たり前の声を上げる、それこそが、今、何よりも求められていることなのだと思う。