2014年2月19日水曜日

哀しき回り道

都知事選の残念な選択で、我々日本人は、原発依存からの脱却の数少ないチャンスをまた逃してしまった。政権は、明らかに時代を逆行する更なる回り道を押し進め、国民の多くがそんな彼らの喧伝にすっかりと乗せられてしまった。

世界は、これまでの消費社会、経済優先の拡大産業のあり方に限界を感じ、旧来のエネルギー政策からの方向転換へと動き始めている。それは、有限である地球資源をもうこれ以上浪費、破壊せず、自然との共生によって、持続可能な<より質の高い成熟した国づくり>を押し進めようと言うものである。

未来を見据えた多くの国は、石炭や石油の埋蔵資源の枯渇や水資源の喪失、深刻な大気汚染、危機的な異常気象などによって、いよいよ人類存亡の危機が迫っていることを実感し、フクシマによって、原発による環境破壊が、こうした文明崩壊のとどめの一撃になることに気付いた。ごく当然の方向転換である。

しかし、日本の政府や官僚は、そんな世界の実情から学ぼうともせず、古き良き時代の復活を夢見て、自らの権益を守りたいがために、ただただ原発のエネルギー政策にしがみつき、再稼働を画策し、グローバル社会へと向かう世界の潮流に逆行する政策を次々と打ち出している。税金の無駄使いがまた始まった。

それどころか、国民を、戦前の軍国主義時代まで逆登らせる憲法改正や教育法の改正にまで手を伸ばし始めている。世界は明らかに前を向き歩み始めているのに、わが国の為政者と役人は、後ろを向いて全力で走りだしているのだ。世界の潮流に乗れない、乗ろうともしないこの国は、まだまだ辛く長い試練を経験しなければならなくなる。哀しき回り道である。

これを変えるには、問題に気付いた国民の一人一人が新しい生き方を実践するしかない。田舎に移住し、食糧やエネルギーを自給し、自然と調和した持続可能な生活を求める若者やシニアが増えていると聞く。一人からの変革こそが、最も確実にこの国を変える力になる。大いなる希望である。

2014年2月7日金曜日

都民の賢明なる選択に心から期待する

いよいよ都知選が迫った。この選挙は日本の未来を方向づける最も重要な選挙である。ぜひ、東京都民には、心して意義ある一票を投じてもらいたい。

争点は、経済、福祉、年金、介護、災害等といろいろだが、ここでもう一度、ぜひ原発問題を、自身の問題としてしっかりと考えていただきたい。

そう期待する第一の理由は、東京のこれまでの豊かさ便利さを支えて来たのは、紛れも無く福島の原発で作られた電気であり、それを誰よりも享受して来たのが東京都民であったからだ。

そして東京は、あらゆる面で日本の進路を左右する国の首都でもある。だからこそ都民はこの選挙に於いて、原発事故の徹底的究明とその解決策に対して、避けることの許されない立場にあると思うのである。

崩壊した福島の原発は未だに収束などまったくしていない。日々、世界の空を海を汚染し続けている。その当事者である東電と政府は、無策にも、また非道にも、その対応と復興にまったく真摯に向き合おうとしていない。

福島では多くの県民が、子どもが、若者が、年寄りが、病気の発症に怯え、汚染地帯に留め置かれたまま被曝され続けている。避難者は賠償も対策もないまま、家も仕事も故郷も奪われ、途方にくれている。

それなのに、この国の政府は、政治家は、そんな実情とまったく向き合う姿勢を見せていない。それどころか、政府も東電も企業も、更なるエゴと欲望を満たすべく、もっと経済を!もっと電気を!もっと原発を!と全国の原発を再稼働させる信じられない行動をとろうとしている。「狂っている!この国は一体どうなっているんだ!」が、被災者から見た正直な気持ちである。

「文明はエネルギーの質で決まる」と言われている。自然を破壊し収奪する石油や原発による文明がこれ以上続けば、間違いなくこの国も世界もやがて崩壊する。今、東京都民が勇気を持って原発から手を引く決断をし、日本人が自然エネルギーによる新しい国創りを始めれば、この国は世界に先駆けて、どこにもない国をきっと創ることが出来る。

その大きなチャンスが今回の都知事選なのだ。今、原発を止めることこそ、日本の様々な課題を根本から解決する最も積極的且つ有効な手段でもある。

震災直後に来日したダライラマは「外的な刺激である物質的な欲望は人間を幸福にはしない」「この悲劇を機に、日本人は、人間としてもう一つ上の成長、進化を遂げて欲しい」と言った。この選択は、それに応える確かな道でもある。

我々大人が今、目を見開いてしっかりと判断しなければならないのは、この素晴らしい地球を、日本を、どうしたら次代の子や孫たちにあるがままの姿で遺してやれるかだ。東京都民の賢明なる選択と決断を心から期待している。









 

2014年2月4日火曜日

朗読劇のお知らせ

 震災後、避難している京都で、久々に演劇家の古い友人と会う機会があった。
彼女は、東京を拠点に、オーガニックシアターと言う名前で、数々の社会派の演劇活動をやっている演出家。

 いろいろと話をしている内に、被災した私を元気づけようと、長年劇団でやっている井上ひさしの名作「父と暮せば」を親娘でやってみませんか?と提案してくれた。この作品は、原爆をテーマとした劇で、それをフクシマの実の親娘が演じたらとてもタイムリーでいいのでは、と言ってくれたのだった。

 たしかに青春時代は演劇をライフワークにと血道を上げていた時期があった。そんな虫がついうづいたのか、震災で、大好きだった演劇を諦めかけていた娘をちょっと元気づけてやりたいと言う思いもふと湧いて、年甲斐も無く「よし、やってみようか!」と言ってしまった。

 朗読劇とは言え、はるか昔にやっていたことである。自分ながら大丈夫かなという心配もないではなかったが、今更照れる歳でもなく、作品を読むと、今の私たちの心境そのままがそこに顕されていてとても共感が持てた。

 なんと、昨年に一度京都でやった試演が縁が縁を呼んで、2月9日は広島で、10日は岡山で、16日は東京で、3月は京都でも再演をやることになってしまった。

 東京では、20年ほどかかわってきたNPO「2050」の活動の一環として、広島と岡山では、縁のあった人たちが主催してくれることになった。しばし途絶えている友人、知人たちへの挨拶も兼ねてのことである。もし、お時間があったら、どこかに顔を出してくれたら嬉しい限りである。宙八

◯ 朗読劇「父と暮らせば」
      井上ひさし作 
      ナガノユキノ演出

 〜 私たちにとって、もっとも大切なことは・・・〜

   出演:橋本宙八、朋果、松本匠子(ピアノ)
 

2月9日<広島>
   ところ:「真宗学寮」西区南観音2−8−15
   電 話:082−231−2900
   時 間:開演13時30分
   参加費:自由懇志
   問い合わせ:岡本090−7503−4989
           主催:海と風と光の会

2月10日<岡山>
   ところ:「岡山禁酒会館」
       (090−1687−5071)
   岡山市丸の内1−1−15(市電「城下」下車すぐ)
   時 間:13時30分〜
   参加費:1200円、避難している人500円
   問い合わせ、予約:電話&ファクス
   主催:市場(いちば)
      086−277−7522


2月16日<東京>
   • ところ:東京都港区エコプラザ3階会議室A
   (港区浜松町1-13-1 浜松町駅から徒歩4分)
   • 時間:13時半〜15時半
   • 参加費:会 員、学生500円、
         非会員1000円
   • お問い合わせ 主催:NPO「2050」
      電話:03ー3443−0428
 ・
      

2014年1月26日日曜日

原発講演のお知らせ


『鬼(原発)は外!』  
福島県双葉町元町長の<井戸川克隆さん>のお話会のお知らせです!     

双葉町は、事故を起こした福島第一原発の設置地域でした。3.11で街は空っぽになりました。そして、放射能被曝の恐怖が襲います。「町民を絶対に被曝させない!」と、首長では唯一町民を町ぐるみ避難させた正義の人でした。そして、町民と政府、東電との板挟みの立場にありながら、原発問題の核心を最も良く知る人の一人となりました。自らも原発事故の被災者として、見てきた、聞いて来た様々なことをお話いただきます。

【日 時】2月2日(日)午後1時~4時
【会 場】Vegecafe&Dining TOSCA
【参加費】1000円
【主 催】子どもピーポパーポの会/NPO法人市民環境研究所/Vegecafe&Dining TOSCA
【定 員】50名 
【申込み】お名前、お電話番号を明記の上、下記までお願いします。
TEL:075-721-7779
メール:tosca.kyoto@gmail.com


2014年1月15日水曜日

自分から始めたい格差社会の変革


 地球の資源が有限であることは誰もが知っている。その資源をどう公平に配分出来るかが、世界の格差をどう改善できるかの大きな課題である。

 特に、途上国の人々の格差は深刻だが、この格差を生み出している原因が、私たち先進国の社会構造の中に潜んでいる。この構造を変えることが、じつは、途上国の格差を改善するための大きな鍵にもなる。

 最近、世界の資産を誰がどう持っているかを示した「富のピラミッド」が広く知られるようになって来た。それによると、世界の総資産の85%は富裕層の20%が所有しており、さらに、わずか1%の超富豪が世界の全資産の45%以上を占有していることが分かった。

 なぜこんな社会になってしまったか?それは、富める人々が、その富の力によって社会を自分の都合のいいものに変え、さらに多くの富を手に入れ、儲けるためにさらに社会を都合のいいものへと作り変えているからだ。

 その結果、貧しい人々が働けば働くほど、その努力で得たささやかな富でさえ、1%の人々に搾取されてしまう。豊かな人々はより豊かに、貧しい人々はますます貧しくなって行く、それが現代社会の仕組みである。
 
 人間以外の生き物の世界には、こうした不公平は存在しない。一つの種が一方的に増え、他の種だけが滅びてしまうと言う事はあり得ない。草食動物の減少は、即、肉食動物の死に直結する。どの生物も互いに助け合い、自他一体の関係にあるのが自然界のバランスである。

 その意味では、この偏った人間社会の構造は、間違いなくやがて崩壊する。しかし、現時点では、まだその転換の兆しが見えて来ない。むしろ、その傾向はますます強く、より拡大するようにさえ見える。

 では、この不公平な仕組みを改革する事は可能なのだろうか?楽観的に言えば、答えは「イエス!」である。

 それは、我々一人一人がこの社会構造から外れることを実践することだ。つまり、豊かな人々が搾取する仕組みを、下から支え続けることを止めればいいだけの話である。そうすれば、自ずとこの社会構造も崩壊する。

 具体的な一つの方法は、少しでも多くの人が、都会から脱出する事だろう。都市から田舎に移り住み、田や畑を耕し、食糧の自給を心がけることだ。自分が使う水、電気、暖房等も自然エネルギーを利用し自給する。健康も他人任せにせずに自己管理を心がける。今の不公平な社会に頼らない自立した生き方を多くの人が実践すれば、やがて、この社会もきっと変わる時が来る。

 しかし、当然、すべての人が田舎に移り住むことは無理だろう。でも、都会に住んでいても、自分の考えを変えることくらいは出来るはずだ。まずは、この社会に抱く豊かさへの幻想を捨てることだ。社会への依存心を極力減らし、これまでの考え方、価値観、人生観を変えることに少しでも努力することである。

 年が明けて、そんな風に変わろうと試みている人々を取り上げる新聞記事を多く目にするようになった。社会とは、一人一人の集合体である。この不公平な社会も、我々自身がつくったものであると分かれば、その変革もまた我々にかかっていることが見えて来る。

 変わらなければならない日本と日本人。まずは、自分が変わることから始める一年でありたいと思う。 

2014年1月8日水曜日

日本の美に感じる本物の豊かさとは

 昨日、京都で庭師をやっていると人と出会い、いろいろ話をした。日頃感じている日本の美的感覚について共感するところがあり、とても楽しい時間だった。

 彼によると、京都の庭師は、他の地域の庭師の使ういわゆる剪定鋏は一切使わないのだそうだ。京都にただ一軒しかない庭師のために鋏を作る専門店があって、そこで作られた鋏だけを使うのだと言う。

 「なんだそのこだわりは!」と思ったが、その理由を聴いてなるほどと思った。その鋏は、すき鋏と言って、葉や枝をすくための鋏であり、切るために使う剪定鋏とは、その用途も目的も根本的に違うのだと言う。

 なるほど、すくと言う発想には、庭師の思い通りに草木を切る剪定とは違い、草や木本来の姿をそのままに残すと言うまったく異なる発想がある。それは、現代にありがちな見て見ての発想ではなく、むしろ、見えないものを見させ、感じさせるために少しだけそっと手を入れる、と言った日本人特有の繊細な美的感性がある。すき鋏はそのためのもの。素晴らしい庭師の美へのこだわりである。

 かつて、自分で家を造りたいと考えいろいろな建築の本を漁ったことがあった。その時、最も興味を持ったのは、いわゆる数寄屋造りの代表建築である茶室に表された様々な日本の美についてであった。その美しさにも、造園に通じる表現があちこちに見られた。

 例えば、茶室のにじり口。なぜあんな小さな入り口を造るのだろうと思ったが、じつは、あの狭い入り口を通るためには、当然、身体をすぼめ頭を下げて入らなければならない。入り口をくぐり抜け、身体を伸ばしたその瞬間に感じる身体と心の開放感にこそ、にじり口の目的があると知って驚いた。

 さらに、そのにじり口の正面には床の間があって、そこには、主人のこだわりの書や絵や生け花が置かれている。それらに描かれた世界が、にじり口を通り抜けた瞬間に心に飛び込んで来る。それが、身体の広がりと相まって、一瞬にして客人を非日常の世界へと誘う。そんな仕組みがあるのだと知った。

 庭師の彼が言う。「京都を本当に楽しもうと思ったら、京都の職人の世界を覗くことですよ。」「京都の職人の感性と技術が失われたら日本の文化おしまいですから」とは、必ずしも庭師である彼の手前味噌ではない。まさに、彼が言う通り、見えない世界を楽しむことにこそ日本文化の美の本質があり、日本人の感性がある。それが、世界の人々が認めるワビサビの文化でもある。それが失われたら、間違いなく日本には、本来の文化がなくなってしまう。

 海外からの最も多くの観光客が訪れると言われる京都。この京都の文化には、そうした日本人の美的感性がびっしりと詰まっている。京都とはそんな場所だ。そして、この京都の文化のそこここに見られるものこそ、日本人が忘れつつある見えないものへ気配り、心配りの「おもてなし」の心なのだ。

 今こそ日本は、日本人にとって本当に大切なものは何か?に気付かなければならない。一時の豊かさである経済やモノを手にすることばかりに狂奔する日本人が、その裏側で失いつつある大切な豊かさ、その勿体なさを改めて知った一日でもあった。





2014年1月1日水曜日

地球化の時代を楽しみたい

 新しい年が始まった。新聞が一斉にグローバル(地球)化の幕開けの記事を掲載している。ほんとにいよいよそんな時代に突入したなと感じる。

 「国際化」と「地球化」は、似ているようだが違う。国際化は、自分の思考や感性に、国際感覚を持ちましょう、それに触れましょう程度のことだが、地球化は、人間そのもの、生活そのもの、人生そのものを、地球人として感じ、考え、暮らし、そして、仕事や人生の中でそれらを具体的に実践し、行動して生きて行こう。と言ったより現実的で生々しいものだ。

 我々一人一人には、今後、好むと好まざるとに関らず、こうしたことがあらゆる状況の中で突きつけられて来る。生活の厳しさも、政治の混沌も、経済の格差も、世界の厳しい紛争の数々も、環境破壊による異常気象や地球規模の危機的状況も、じつは、すべてがこうした地球化へ向かって人間が変わらなければならない避けては通れない試練だ。そう思えれば、少しは元気も出て来る。

 日本が他の国には見られない文化を創造し、数百年にも渡って守ってこられたのは、まさしく閉じられた島国だったからだが、しかし、そんな日本には、他の国の人々や文化と交流する機会が少なかった言うマイナス面もあった。その日本を一変させたのは、明治維新による開国であり、世界初の被曝国と言う厳しい試練だった。この二つの試練で日本は世界に大きく開かれ、成長も発展もした。

 3年前の原発事故は未だに解決の糸口も見えないが、この大きな危機を、問題の本質から逃げずに向き合うことにこそ、これからの日本のグローバル化に向けての発展と成長がある。危機の意味はチャンス。破壊は創造のために有り、試練は成長のためにこそある。

 より多くの文化に触れたり交流することは努力の居ることだが、とてもエキサイティングなこと、嬉しいこと。原発事故は、島国日本がグローバル化に向けて開かれる三度目の開国でもある。そんな地球化の時代を前向きに存分に楽しむ、そんな一年でありたいと思う。