2010年2月10日水曜日
インド回想記(4)「サデュー」と言う修行者
インド人の大半は、ヒンズー教です。そのヒンズー教では、人生の理想的な生き方を、「学習期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つのステージに分けて、修行者の道標として進言しています。
「学習期」とは、いろいろなことを学ぶ子ども時代。「家住期」とは、結婚し、家庭を持ち、子どもを産み育てる時代。「林住期」とは、森に住み悟りを開くための修行をする時代。「遊行期」とは、子どもも家も妻も、悟りの修行からも、一切のものから身を解き放ち、死に場所を求めて町々、寺々を流浪をする時代と言われています。その遊行期を過ごす修行者を「サドー」と呼んでいます。
これは、人間が人として生まれ、やがて神に帰依するまでに、どのような人生を送ることが必要か、最もスムースな道なのかを説いた教えです。そうなるためには、社会の中で創られた一切の制度にこだわることなく、家族と言った最も愛する対象からも、物欲は元より、悟りを得ると言う執着からも己を解き放つ、そんな生き方をしなさいと言ったものです。
人が悟るためのじつに見事な「悟りマニュアル」ですが、これをテレビで知った青春時代、「そうか、これをやれば俺も悟ることが出来るか!」などと、浅はかにも真剣に思ったりもしたものでした。が、その後、そうしたサデューたちが、じつは、最後の死に場所で一人死んで行く時に、愛する家族にもう一度会いたいと号泣するのだと聞いて、ああ、人間は、そこまでしても悟れないものなのだなあと納得、でも、そうまでしても悟りたいとあがく人間、男の性(サガ=カルマ)が、どこか寂しくも、悲しくもあり、妙に共感するものがあり、とてもサデュー愛おしく感じられたものでした。
実際、インドには、現在でも、この教えに従って生きる人々が居るようですが、この写真の人物は、多くの人が沐浴をする様子を見に行った時、その川べりに座って居た人でした。
果たして、この人が、本物のサデューなのか?あるいはただの物乞いか?は、知る術もありませんでしたが、しかし、この顔つきはなかなかのもの。正真正銘のサデューのようにも思えて、思わずわずかばかりのお布施をして、パチリと撮らせてもらったのがこの写真。
サデューに関しては、一方ならぬ思いを長年持ち続けて来た小生。このらしき人物との出会いに心躍らせてツーショットももう一枚撮らせてもらいましたが、にやけた小生の顔とサデューの威厳のある顔は似合わず、これはオフレコ。ああ、願わくば、この人物が、ぜひ本物のサデューでありますように・・・・。
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2 件のコメント:
楽しく読ませていただいております。
三角の半断食では、また、よろしくお願いします。
大分 安部です。
サデュー検索でたどり着いて、楽しく読ませていただきました。
ヨギもサデューも日本人には計り知れないですが、
ブログを読んでなるほどと思いました。
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